bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

帰省ブルーを軽減する

 年末年始の憂鬱ごとと言えば、私にとってそれはもちろん義実家への帰省である。

 そもそも大学進学のため上京して以来、自分の実家にさえろくに帰省せず、里帰り出産もせず、よって1週間以上実家に泊まったことなどほぼ皆無と言っていい状態なのだ。それなのになぜ、クリスマスだからと言って義実家に2週間、時にはそれ以上も滞在せねばならぬのか……。

 とは常々思ってはいたものの、夫にはなかなか言い出せなかった。普段は私のテリトリーで生活をしており、パパとママ大好きにもかかわらず、年に一度会えるか会えないかの夫。愛する息子を両親に見せたい、可愛がってほしい、という気持ちも分からなくはない。

 だったら今流行りの父子帰省という道もあるにはあるのだが、私のほうがそこまで子離れがまだできていない。まったく息子に会わないなんて、1週間が限度だ、今のところ……。

 でも義実家に2週間もいるのも無理だ。大豪邸で各ゲストルームにバス・トイレがついているならまだしも、この地方によくある「お風呂軽視」型、シャワーとトイレが一室だけの家に、大人4人と子ども1人が詰め詰めで2週間も暮らすなんて、無理だ……! 今までは「息子のため、夫のため」と思って我慢していたけれど、結局鬱憤がたまって「もーいや!」となり、夫に八つ当たりしていたのは、まぎれもないこの私だ。それに義両親だって、嫁が2週間も自分たちの縄張りに入り込んでくるのは気ぶっせいだと思う。それよりは息子と孫だけの方が気をつかわんだろう。

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 そこで今回思い切って、自分ひとりだけ泊まれるところをairbnbで確保した(いや、良い時代になったものです)。

 で、これが超快適だったのだ……。朝起きたら持ってきた仕事をし、16時ごろ義実家にいって夕飯を(作って)食べ、息子が寝たら帰ってくる。ああ、人に気を使わないって最高。夜中にトイレに行って「義両親を起こすんじゃないか」と思わなくて良いって最高。airbnb代が払えるくらい仕事してて、本当によかった。

 そして改めて実感したのは、なんであれ我慢ってほんとよくないよなと。「自分が我慢すれば」というのは、ついつい私が陥ってしまいがちな考え方ではあるのだが、結局は自分を蝕み、ひいては人間関係にも影響する。我慢していると、自分が好き(?)で我慢しているだけなのに、相手にも「我慢してることに気づけよ!」と理不尽な思いを抱いてしまいがちだし。

 ヴァージニア・ウルフは、かつて『もし女性が小説を書くとすれば、お金と自分専用の部屋をもたなければならない』と書いた。でも私は思う。『もし女性が自分自身でいるためならば、お金と自分専用の部屋をもたなければならない』と。

夫に対する怨嗟あるいは繰り言あるいは夏物語への共感?

books.bunshun.jp

 我が家は共働きである。夫の方が手取りにして私の約2倍稼いではいるが、生活費はほぼ折半。夫はリモート、私はほぼ在宅フリーランスで、労働時間もほぼ同じ。家事を「労働時間」に組み入れるのなら夫:私=2:8といったところか。生活費は5.5:4.5とか、そのくらい。

 であるからして、子どもが病気をもらってきて、平日に保育園を休まなければならなくなるとパニックだ(※)。どちらがどれだけ仕事を休むのか、瞬時に判断してうまいこと分担せねばならない。

 ある日、子どもが夜中に泣き出した……と思ったら高熱を出していた。寝ぼけ眼で汗ぐっしょりのパジャマを着替えさせ、水を飲ませ、冷えピタで子どもの体を冷やしながらも頭の中では「明日からどーすっか」と算段を始める。大丈夫、校了したばかりで喫緊の課題はとりあえずない。次のプロジェクトに向けて仕込みはしておきたかったけれど、明日は丸一日休んでも大勢に影響はなさそうだ。ここは車なくしては買い物にも行けないほどの田舎ではあるが、都会産まれ・都会育ちの夫は車の免許を持っていない。しこうして医者に連れて行くのも、病気の子どもが食べたがるものを買いに行くのもすべて私だ。よし、明日は私が仕事を休もう。Etc, etc。ちなみに夫はいびきをかいて寝ている。ある意味、この状況下で起きないってすごい。

 翌日も子どもの熱は引いていなかったため、夫には「校了したばっかりだから今日は私、大丈夫そう。一日見るから仕事して」と言い、小児科の予約を取り、連れていき、ゼリーが食べたいというので買いに行き、ぐずる子どもをあやしながらなんとか昼寝もさせてその合間に仕事のメールに返信し……でもうてんやわんやである。

 翌日も子どもの熱はそれほど下がっていない。今日はどうすっか。さすがに丸2日仕事から離れるのはきつい……午前は私、午後は夫と分担するか。

 と思っていたのだけれど、その日、保育園に送っていかなくてもいいと安心した夫は10時まで寝ていた。で、起きてくるとコーヒーを飲み、身支度を整え、

「じゃ、上(2階)行って仕事してくるわ」

と言って消えた。

 えっちょっと待て! 勝手に消えんな! こっちだって仕事あんだけど! と思えど時既に遅し……でその日も私が丸一日子どもをみることに。ぐずる子どもをあやしながらなんとか昼寝もさせてその合間に仕事のメールに……エンドレス。夫はお昼に一度降りてきて、「おっA(子どもの名)、にゅうめん食べてるのか! 俺も食べたいから作ってー」とのたもうた。

 さすがに切れた私は、その日の夜、子どもが寝てから「ちょっと話あんだけど」と夫に詰め寄った。どーゆーことじゃい。なんでそんな勝手できるんじゃい、と。するとやっこさん、悪びれずに

「だって昨日、校了後だから大丈夫って言ってたじゃん」

ときたもんだ。

 私は怒った。

 あのね、仕事の状況なんて、日々刻々と変化するでしょ。そんなことも分からないで仕事してんの? っていうかそーじゃないよね。だって私が会社勤めしてた時は、毎晩「明日どうするか」について相談したたもんね。フリーランスで在宅で、なおかつ分担してる生活費が自分より少ないから、ちょっとくらい休んだっていーだろ、くらいに思ってるよね?(※) 

 夫は最後には「俺だって疲れてんだよ! なんだよ、仕事して疲れて、やっとリラックスできるかと思ったら喧嘩かよ!」と叫んで散歩に行った。

 こういうことがあるたびに、本当に子育てに男はいらん……って思ってしまうのだけれど、そうすると「そんな男ばっかじゃない」という、私の中に五分残っているフェアな精神が頭をもたげたりもして、でもいや、ほんと男は役立たずだよ。だって見てごらんよ、出張とかで子どもを見てくれるときだって、本当に「見る」だけじゃん。洗濯も食器洗いもゴミ捨てもすべて放棄で家の中くっちゃくちゃじゃん、と悪魔のささやきも聞こえてきて悩ましい。でもこれだけは言えるのは、川上未映子の『夏物語』に出てくる遊佐リカの気持ちが私にはすっごい分かる、ということだ。結婚2回、トータルの結婚期間20年にして、導き出された結論が「女にとって大事なことを、男とわかりあうことはぜったいにできない」だったというのはたぶんめちゃめちゃ悲しいことなのだろうが、本当にそうだよ、まじでね……。

 

※今現在、わが自治体には病児保育はない。病児保育をしてくれるファミリーサポートもない。ベビーシッターは探せばあるのかもしれないが、今のところ病児保育をしてくれる人にはこちらに越してきてから巡り合っていない。

※……と、本題からどんどん外れていっていることが、今ここに書いていると分かるけれども、対峙しているときは抑制が効かない。

恥ずかしい告白(2)

www.kinokuniya.co.jp

 

 残念ながら既に絶版になっているようなのだけれど、故・田辺聖子のエッセイに『ほのかに白粉の匂い 新・女が愛に生きるとき』()というものがある。その中の『結婚しない女たち』という一篇で、田辺聖子はこう書く。

何がすすんでる、変ってる、っていったって、女の意識ほど変ったものはない。(女心とはべつである。女心は変らない。『万葉集』や『源氏物語』の昔から変らない) (中略) 女心としては、太古以来変らない娘たち、つまり、男に「いとしいもの」と思われ、庇護され、可愛いがられたい、たよりたい、その男の子供を生んで、二人で育てたい、いつも男に自分だけをみつめてもらいたい、—というような、いじらしい女心を底に秘めている娘たち― (後略) 

  どれだけ「自分はフェミニスト」「女をコケにする男、嫌い」「女を傷つける男の子なんて産んでしまった…!」と言ったところで、私にも太古以来の変わらない女心が息づいている。思い返せばおそらく物心ついたときから実際に結婚するまで、私の人生の最大の悩みのひとつは「将来、結婚できるかどうか」ということだった。私を選び、人生を共にしようと言ってくれる男は果たして現れるのか。現れなかったらどうしよう……と心の底でいつも怯えていたように思う。

 うーんそれって承認欲求の最たるものだよね、別に「結婚」じゃなくてもいいんじゃないの。シスターフッドだってあるでしょ。だいたい「結婚」を絶対的なものととらえているその依存心って、家父長制の考え方にどっぷり毒されてるよね。っていうか男に「選ばれる」というその受動的な考え方、やめなよ!

 と今なら言えるのだが、そして性愛に基づく男女の愛なんてほんともろいよ……。結婚なんて絶対のものじゃないんだよ……と今なら痛いほど分かるのだが、なにしろぼんやりしているので、実際に失敗するまでは気が付かなかったのだ。

 気づいた後も、女心はふとした瞬間に後付けの人格を呑み込んでしまう。一回結婚に失敗しているにもかかわらず、二度目のプロポーズでもやはり「選ばれた」と舞い上がった。そして子育てをしている今は、「その男の子供を生んで、二人で育てたい、」という女心が満たされた生活にどっぷりと浸かってしまっている。

 しかも育てているのが男の子とくれば、ともすれば満たされた女心は肥大し、尊大になり、天にも昇りかねない。「私を生涯の伴侶として選んでくれた」男のほかに、「私を全身全霊で愛してくれる」男がいるからだ。出産前、男の子がいるお母さんたちに漠然と感じ、恐怖した根拠のない自信は、「私を心から愛している男が少なくとも二人はいる」、これに由来しているのだと思う(自戒を込めて)。

 けれども、「私を生涯の伴侶として選んでくれた男」はいつ生涯の伴侶でなくなってもおかしくないし(こっちから捨ててやる! と思うことも多々あるし)、「私を全身全霊で愛してくれる男」は、いつかは外に出て、他に全身全霊で愛する対象を見つける。その時に太古以来の女心にどっぷりと倚りかかった人生を送っていると、そりゃーその喪失感ったらたまんないだろうなー、ということは容易に予想がつく。

 というわけで、太古以来の女心を持っていることは否定しないし仕方のないことだと思うのだけれど、少なくともそれを意識して肥大化させないことに努めたい。人様の前でダダ洩れにするのはもってのほかだ!

 と常に自分に言い聞かせておかないと道を踏み外しそうになるあたりが、本当にぼんやりだよ……。

 

※名作。30年以上前の本なのに、日本の男女の意識があまりにも変わってなくてすごい。

恥ずかしい告白

 ぼんやりとは言え、フェミニストを自認している私として、これから書くことはひじょーに! 非常に恥ずかしいのだけれど、考えをまとめるためにも書いておく。

 子どもを産む前、男の子を育てているお母さんたちが恐かった。その頃勤めていた職場は、制度も整っており、人間関係も大変居心地がよく、よって子育てをしながら働いている人がたくさんいたのである。ランチ時の話題といえば、朝ドラとフィギュアスケートと子どものこと……というのに、最初のうちは辟易としたこともあるが(私は朝ドラにもフィギュアにも子どもにも興味がない)、他の人の悪口が出ないという意味では上等だったのであろう。

 朝ドラ、フィギュア、子ども、という3大話題()の中で、聞いてていちばん怖かったのが子どもの話だった。男の子のお母さんから、ふとした拍子に

「(結婚します、と言って息子が)誰を連れてきても納得できない」

「(結婚したい、と言って彼女を連れてきたら)じゃあここで息子が喜ぶご飯を30分で三品作ってみなさいよ、と言いたい」

等々、本音が漏れるからだ。三姉妹の長女として育ち、「嫁」の立場にしか立ったことがない私からしてみれば「ひぃいい恐! 何、その根拠のない自信! もしかして連れてきた彼女が超料理上手かもしれないじゃん!」である。そして「うわぁ、私も結婚の挨拶に行った時、そんなこと思われてたんだ……」と戦慄した。

 なぜか女の子だけを育てているお母さんたちからは、こうした声は聞こえてこない。「母親というものはみな気が狂っている」と言ったのは確かマルグリット・デュラスだったけれど、中でも狂ってるのは男の子の母親だよ……こえぇ私は絶対男の子なんて産みたくない、と、私は心の中で秘かに思った。

 というわけでその後しばらくして妊娠が判明した時も、自分が産むのは女の子だと信じて疑わず、性別が判明する前からピンクのおくるみを編み()、小さい時から子ども(=女の子)が産まれたらつけると決めていた名前の漢字を考え……ていたのに、ああ無情。超音波検査で医師が言ったのは「立派なものがついてますよー」という一言だったのである。

 女子を苦しめるものを、この私が産むことになってしまった……とその後しばらく落ち込んだが、産んでしまうと子どもはかわいい。大好き、とぎゅーっと抱きついてこられたり、朝、起きて―と言ってキスをしてきたり、こんなかわいいものが世の中にあろうか。私、あなたに会うために産まれてきたんだ! などと、三文JPOPの歌詞に出てきそうなことを考えてしまい、脳内で慌てて打ち消すことも多々ある。

 で、分かったのだ。職場にいた男の子育て中のお母さんたちが、なぜあれほど根拠のない自信を持っていたのか。それは、田辺聖子言うところの「女心」なのである。

 

※過去のエントリーを見返したら、韓流もあった。

※女の子=ピンクと考えるあたりも、ぼんやりにもほどがある。

 

長くなりすぎたので、次回に続く。

 

 

82年生まれ、キム・ジヨン

 巷で話題になった『82年生まれ、キム・ジヨン』を今更ながら読みました。

 

www.chikumashobo.co.jp

 身につまされることがありすぎて、読むのが辛い……と思いながらも一気に読了。それほど長くなく、リーダビリティも高く、内容も興味深く、ベストセラーになるのもそりゃ当然だと思いました。ラストは「あーそーきたか。そーくるよね」という感じではありましたが……。

 

 自分が今まで経験したことに似たようなこともいろいろあったし、何よりキム・ジヨン氏のお母さんがとても印象的だったので、母にも勧めてみました。やはりすらすらと読めたらしく、3日後に本が返ってきたのですが、その時に母が述べた感想が、

「韓国ってえらい国やな。この主人公、あんたと同じ年やで(注:ジヨン氏と同じ年なのは私の妹であって、私ではない)。それやのにこんな男尊女卑なんやで!」

というものだったので、ズッコケました(死語?)。

 

 お母さん。ここに書いてあるようなことは、あなたの娘である私や妹の世代がほとんど体験してることなんやで。最初の会社では、同じ新卒採用なのに、男の子の同期のほうが初任給高かったんやで。「男子である」っていう理由で。次の会社は、「男は待遇が良くないといつかない」という理由で、女子は契約社員採用、男子は正社員採用やったんやで。会社にクレーム電話かかってきて対応してたら、「女じゃ話にならん。上のものを出せ」って言われたんやで。終電間際までの残業続きでくたくたに疲れてタクシーに乗ろうとしたら、すれ違ったおっさんから「女のくせにタクシーに乗りやがってよ」と言われたんやで。そんなのまだましなほうで、私の友人は会社の忘年会帰りにタクシーに乗ったら、運転手から「おっちゃんは上手やで~やらせろ」と言われて車止められたんやで。別の友達は妊婦やった時、満員の通勤電車から降りぎわに、誰かに「じゃま!」って言われてお腹をパンチされたんやで。子どもを産んで以来の、世間からの母プレッシャーなんて言うにおよばずやで。

 

 ……と母に訴えたら絶句していましたが(普段、嫌なことに遭ってもいちいち親に報告したりしないですからね)、母はしばし絶句した後に

「でも私は家庭の中で、そんな目にいっぱい遭ってきた」

とひとこと。

 

 日本も闇が深いよ。闇が深すぎて黒光りしてハレーション起こしてるような感じだよ……。

たぶん毒親『お弁当ばこのうた』

 子どもが生まれたときからNHKEテレしか見なくなってしまいました。4月からの番組改編で、私がEテレを見ている時間には『みんなのうた』が流れていないのですが、土曜などふとテレビをつけると『みんなのうた』が放送されていることがあります。『ラジャ・マハラジャー』や『北風小僧の寒太郎』が流れている日には、母親である私が大きな声を張り上げて歌ってしまい、大騒ぎです。戸川純最高。

 好きな歌もあれば嫌いな歌もあるわけで、普通は嫌いな歌の場合、家事に専念するなどしてスルーするのですが、時になんとも気持ち悪く、黙って見過ごすことすらできない歌が流れることもあります。最近、なにこれきもちわるいほんといや嫌い! と寒気がしたのが、『お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~』です。

www.nhk.or.jp

 何この歌最悪……。鼻にかかった歌い方も嫌いだけど、メロディがださいし、歌詞も変。こんなの好きな人いないよね? と思ったのですが、意外にも好きな人が多いらしく、NHKの「おはよう日本」で特集さえされていました。うそでしょ?? という感じです。

 私がこの歌を嫌いなのは歌詞にとどめをさします。これ、「感動ソング」のつもりかもしれないのですが、よくよく聞くと、おしつけがましいメンヘラ毒母のひとりごととしか思えません。好きなものばかり入れられないのよ「許してね」と母親が言うのも気持ち悪いですし、毎日彩りよく、バランスよいお弁当(弁当にセロリ入ってたら、私なら捨てます)を作っているのよあなたのことを考えて、と言ってるくせに、好きな人ができてダイエットしたいって言ったら弁当作るのやめるんかい⁉ 

 私もかつて多感な思春期に、片思いの相手から「痩せたら付き合ってやる」と言われ本気でダイエットを考えたことがありましたが(もちろん挫折)、もしもタイムマシーンがあるのなら、あの時の私をハリセンではたいてやりたい。「痩せたら付き合ってやる」なんて、そんな男の言いなりになってはいかん! たとえダイエットが成功して、そんな奴と付き合ったって不幸になるだけだ! と。それなのにこの母親はダイエットする娘を応援するために弁当作るのやめるって示唆しているんですからね。下手したら娘は拒食症まっしぐらです。

 その上この歌につけられているアニメがこれまた最悪で、ねえここん家は母子家庭という設定なの? というくらい父親の影がない。しかし母親は働きに出ている様子もなく、やることと言えば料理と、自転車に乗ってスーパーに行くのと、子どもの具合が悪いのを見ておろおろするぐらいなので、きっと経済的負担を一身に担う父親がいるのでしょう。また出たよ、父親不在で母親が家のことを何もかもやる家庭。母子ダイアドがきつすぎるこういう家庭像が、『みんなのうた』ですら刷り込みとして放映されているのです。

 同じおべんとうばこのうたでも、昔からある「これっくらいの、おべんとばこに、おにぎりおにぎりちょんとつめて♫」のほうが、変にメンタルに訴えかけていないだけ100倍ましです。とにかく私はおしつけがましい「感動」が苦手だし大嫌いなので、公共放送であるNHKではこういう歌を流してほしくありません。中立でいけよ、中立で、と思います。

 そういや『トイレの神様』も大嫌いだったよな~。でもなぜか数年に一度、この手の歌がヒットするんだから、おしつけがましい感動を求めている人っていうのもいるんだろうなあ……。

「家事の負担を減らす」!?

 

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ピングーのお父さんは家事をする。

 

 今朝NHKの「おはよう日本」を見ていたら、また「フラリーマン」について取り上げていました。「フラリーマン」とは、仕事が終わってもまっすぐ帰らず、寄り道をするサラリーマンのことです。※基本的に、妻には了解を得ていません。こっそりやっています。

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 もし自分の夫が同じことをしていたら、家事・育児の放棄を理由に積極的に離婚を考えると思いますが、個人的には、他人の夫がまっすぐ家に帰ろうが帰らまいがどうでもいいです。いや~月に1~2回、息抜きとして自分の時間が欲しいんじゃなくて、ほぼ毎日まっすぐ帰りたくないなんて、あなたにとって「家」は針のむしろなんだね~。でもそう思ってるのはあなただけじゃなくて、妻もそうだろうね~、と哀れに思うだけです。

 嫌悪感を抱くのは、NHKの「取り上げ方」です。

 2回目の今回は、1回目に登場したサラリーマンが再登場。相変わらず家にはまっすぐ帰っていないけれど、1週間に1回妻も一緒にピアノを習うことにしたとのこと。それはまあいいのですが、ピアノのレッスンの後はスーパーのお惣菜を買って、妻の「家事の負担を減らしている」んだそうです。

 「負担を減らす」って……。

 実はうちの夫も私に、「だから毎日ごはん作らなくてもいいって言ってるじゃん。疲れた時は、そう言ってくれたらお弁当買って帰るからさ」とよく言うのですが、なんという上から目線な発言でしょう。「疲れたとき」「たまに」お弁当買って帰るんじゃなくて、自分がごはん作ればすむ話じゃん、と思ってしまいます。

 炊事、洗濯、掃除その他もろもろの家事、そして育児は、決してどちらかが「負担を減らす」ものでも、「手伝う」ものでもありません。家事は人間が暮していれば必ず発生するもので、ひとり暮らしなら誰もが自分でやっているのに、なぜ結婚した途端に夫は家事を「手伝い」、妻の「負担を減らす」側に立つようになれるのでしょうか。ポジショニングを完全に間違っていると思います。なにが「家事の負担を減らす」だ! 減らすんじゃなくて半々にしろ! 手伝うんじゃなくて、「やる」だろ! と言いたいです。

 まあでも、しょうがないんだよね、と思ってしまう自分もいます。息子と一緒に子ども向けのコンテンツを読んだり見たりしていると、これだけメディアで「女は家事育児、男は外でがんがん仕事」と刷り込まれたら、簡単にはその刷り込みは消えないよね、と。それでも、ヨーロッパの絵本やアニメには、お父さんがエプロンをつけて子どもと一緒に料理を作って、できた時点でお母さんが出てきて「おいしい」と食べたりするシーンがたまに出てきます。『ピングー』でも、初期のクレイアニメでは、お父さんがパイプをくわえながら洗濯をするシーンがあります。でも、日本のアニメでは、そういうシーン、あんまり見ないよな、と思うのです。

 私は自分の息子には、そうしたジェンダーバイアスのかかった刷り込みをしたくありません。なので、家庭内での刷り込みを減らすよう、努力してみようと思います。とりあえず、川上未映子も言っていたように、夫が何か家事育児をした時に「ごめんね」と言うの、やめよっと。また、今でも息子は皿洗いのお手伝いをするのが大好きですが(ただ水をばちゃばちゃやってるだけという話もありますが……)、今後もどしどし家事をやらせます。「自立している」というのは経済的にだけではなく、自分でご飯を調達して食べ、身支度をし、家を清潔かつ衛生的に保つという意味も含まれていると思うからです。