bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

嫉妬しているのではないのだ

 ニュースサイトをうろうろしていると、時折「……!!」と絶句してしまいそうなものに出くわします。たとえばこれ。

www.excite.co.jp

 40代、50代になっても若く(見え)てきれいな女性、いわゆる「美魔女」を叩いているのは女性、しかもそれは「美魔女への攻撃は同性の“羨望”の表れ」=女性が美魔女に嫉妬しているからである、という主旨なのですが……。

 ええええええええ!? そうなの!? みんな嫉妬するから叩いてるの!? っていうか、ネット上で美魔女を叩いてるのが女だってどうやって分かるの? 匿名なのに? 性別も偽ろうと思えば偽り放題なのに?

 私は「美魔女」を見ても、羨ましいと思わなければ「ズル」をしているとも、「図々しい」とも思いません。ただ、勘弁してよ……とやりきれない思いになることはあります。しかしそれは嫉妬心からではなく、小奇麗な中年女が増えると、それがスタンダードになってしまい、普通に生きている中年女(若々しく見える訳でもなければ美しくもない)にしわ寄せが来るからです。ためしに自分の小さい時の写真が貼ってあるアルバムを見てみてください。一緒に写っている母親や祖母、親戚たちの実年齢が、見た目よりずっと若いことに驚くはずです。年齢と見た目のハードルは、確実に上がっています。

 私だって本当はもっとぐうたら年を取りたいのに、「劣化した」と陰口をたたかれるのがいやなせいで、6週間ごとに白髪を染め、1か月に1度顔パックをして、2日に1回ヘアトリートメントをし、毎日化粧をしています。美容院や整骨院に行けば、「女性はいくつになってもきれいでいなくちゃ!」とはっぱをかけられます。本当にしんどいです……。いや、だったら全部やめてしまえばいいのですが、そしたら確実に職場の同僚たちから「……どうしたんだろうね、なんかあったんだろうね、ひそひそひそ……」と噂されるに決まっています。人のことを気にしすぎと言われればそれまでなのですが、人のことを気にせずにどうやって社会生活を送れるのか知りたいです……。

 

 というわけで(どういうわけだ?)、美魔女に対して嫌悪感を持つのは決して嫉妬からではない、のです。こうした記事を読むといつも思うことなのですが、中高年の男性がしたり顔(今回は「精神科医」の肩書きがついているだけにいっそうたちが悪い。俺は人間の心についてよーく知ってるぞ、と思わせるから。しかし周囲に5人以上精神科医がいる―ただしかかっているわけではないのでお間違えなく―私に言わせると、精神科医って何にも分かってないな! と思うこともよくあります)で「女は嫉妬深いからな!」と、なんでもかんでも「女性同士の嫉妬心」を理由にするのはやめていただきたいです。うちら、巷でかまびすしく言われるほど、きれいな女やもてる女にやきもち焼いてないけど? って感じです。

「旅するフランス語」が本当に嫌い

 NHKの語学講座を結構見ています。とはいえ新しい言語を習得したい! という向上心からではなく、息子がなぜか朝6時という「うそでしょ、もうちょっと寝てて……」という時間に起きるので、テレビをつけると語学講座をやっているからです。

 NHKの語学講座(英語除く)といえば、その言語が(ほぼ)全くできない人が、一から頑張って、半年経つ頃には結構しゃべれるようになっててその進歩にまわりもびっくり! というシナリオがセオリーな訳です。「テレビで中国語」では森迫永依が声調をダメ出しされながらも一生懸命発音し、「旅するスペイン語」では平岳大が、「イタリア語」では東儀秀樹が女性名詞や男性名詞、単数形と複数形の違いに苦しみながらも自分で文章を組み立て、ペアを組んでいる出演者からつっこまれながらも頑張っており、そこに視聴者は自分の姿を重ね、なおかつ「間違ってもいいんだ」と勇気づけられる……のだと思うのです。

 それが、この「旅するフランス語」ときたら!!

cgi2.nhk.or.jp

 きれいなおべべを着た常盤貴子が、パートナーの男性と一緒にパリやらストラスブールやらのおしゃれなレストランやショップを見て回り、常盤貴子は男性に日本語で話しかけ、男性はフランス語で会話。常盤貴子は「ふーんそうなんだー」な体。レストランやショップで店員と話す時も、自分で試行錯誤するのではなく、小首をかしげて隣の男性に「ね、こういう時なんて言うの?」と聞き、言われたフレーズをまんまおうむ返しするという体たらくです。フランス語を勉強する気、ゼロじゃん! 

 いやしかしそんなふざけたフランス語講座も9月いっぱいで終わるはず。そしたら他の人に変わるはず。そしたらもう少しましになるはず、と期待していたのですが、なぜか常盤貴子、続行です……イタリア語もスペイン語もドイツ語も出演者が変わるのに……。NHKもちょっとは考えろや! なんで私の受信料で常盤貴子にパリ旅行させんといかんねん! ていうかなんで私の受信料で常盤貴子のプロモーションビデオ撮ってるねん! と毒づいてしまいます。

 10月からもフランス語の日だけはチャンネルを1に替え、粛々と「おはよう日本」6時台を見ようと思います。

刷り込みは恐ろしい

 フェミニストを自認しているくらいなので、もちろんレイプも痴漢もセクハラも許せません。私には小さい息子がひとりいますが、息子がまだ赤ちゃんの頃から、「万が一お前が誰かをレイプしたら、おかあさんはあんたのおちんちんとたまたまをちょん切るで」と心の中で唱えながら育児をしているほどです(歪んでるな、この母親)。

 ですからこの本も、「レイピスト許すまじ!」な感じで、ものすごい形相で読み始めました。

www.akishobo.com

アメリカではほぼ5人にひとりがレイプの被害に遭っていると知って驚愕し、地元で大変人気のあるアメフト選手によるレイプに身の毛がよだち、無罪になったジョーダン・ジョンソンを弁護した元女性検察官に対する怒りに震え、被害者に対する心無いバッシングをする有象無象の人たちに嫌悪感を抱いた……のは確かなのですが、それにもましてショックだったのは自分自身の考え方でした。

 レイプのほとんどが友人・知人によるものだということを、私は知っています。露出の高い洋服を着ているからと言って、それが性交を承諾する意味にはならないと、強く思います(あんたのために着飾ってるんじゃねーんだよ! と言いたいと思ったことのある女性は決して少なくないはず)。どちらかが少しでも「いやだ」と言えば性交はしてはならないですし、レイプもののAVにいたっては反吐が出るほど嫌いです。そんなの当たり前です。

 と思っていたのですが、この本を読んでいると、自分自身もとんでもない刷り込みをされているということに気が付きます。「レイプ、だめ、ぜったい」と思っているくせに。

 たとえば、

1)「小学校からの親友だと思っていた男性を含め、友人宅でみんなと飲んでいたが、深夜に帰宅するのが不安だったので、みんなでその家に泊まった。カウチで寝ていて違和感を感じて起きたら、レイプされていた」

 これは絶対にアウトだと分かります。他の友人たちもいるのに、小学校からの幼馴染でお互い恋愛感情はないのに、寝込みを襲うなんてこの卑怯者! です。

 しかし、こちらのケースはどうでしょう。

2)「前からちょっとかわいいな、と思っていて、まあするのもありかなという感じだった。自分の家に夜ふたりっきりになっていちゃいちゃしていたけれど、性交してもいいとは言ってない。いやだ、と言ったのに無理矢理押さえつけられてレイプされた」

 "どちらかが少しでも「いやだ」と言えば性交はしてはならない"と私は考えています。それなのに、こういう事例を読むと「ちょっとあんた、それはあまりにも浅はかなんではないの? 男と密室でふたりきりになるなんて、今日はOKよ、というサインを送ってると思われてもしゃーないやろ」と思ってしまっていて、そんな自分にものすごく腹が立つのです! だってそれこそ、男社会による刷り込みだからです。今日はOKよ、というサインなんてないのです。だいたいOKの時は「サイン」なんて出さずにガンガンいくし、途中で「やめて」「いやだ」なんて言いません。「なんかー密室でふたりになってるしぃ、かわいいと思ってたって本人も言ってるしぃ、いちゃいちゃもしてるしなぁ」と思うだなんて、「レイプ事件は立証が難しいから」とほとんど追訴せず、挙句の果てには被害者を攻撃する側にまわったこの本に出てくる女性検察官/弁護士を責めることなどできません。

 とかく女性は、「自分の身は自分で守れ」と言われます。私も「(車であれ部屋であれ、野外! であれ)ふたりっきりになった時点でやられてもいいという意味」と、小さい頃から両親に言われて育ちました。「だから気をつけなあかん」と。「15から40まで、オトコの頭の中はしたいばっかり」とも言われて育ちました。でも、そうではない人ももちろんいるだろうし、たとえそうだとしても理性で抑えられる人はいるし、それよりなにより「いやだ」「やめて」と言われたことはしない、というのは人として当たり前のことだろう? と思います。酔っていたから、若いから、将来性のある人だから、女に隙があるから、という理由でレイプが見過ごされるなんて、あってはならないことです。

 刷り込みは恐ろしい。常に自問して考え続けていないと、水は低きに流れ、人は易きに流れるということを思い知った1冊だったのでした。

私はフェミニストなのか?(10)はい、そうです!

 ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』は、サイゾーウーマンのブックレビューコーナーで知りました。正直最初は「ま、読んでみるか」程度だったので書店では購入せず、近所の図書館で予約しました。予約、といっても人気のないフェミ本のことですから順番待ちをせずにすみ、翌日には「取りに来てください」メールが入っていました。

※余談ですがサイゾーウーマンのブックレビューは、フェミニズム本にカテゴライズして良さそうなも多数取り上げていて参考になります。しかしジャニーズも芸能ネタもエロも好きで、なおかつフェミ本を読む女性が日本にいったい何人くらいいるのか、気になるところではあります。

www.cyzowoman.com

 子どもを寝かしつけた後、「他に読むものもないしな」とこの本を手に取ったら、その後2日間、自分の自由時間はすべてこの本を読むことにあてていました。目から鱗が1800枚ぐらい落ちました。読み終わるのが惜しくて、ちょっと読むスピードを落とすか……とまで思ったりしました。

 読み終わってあまりにも淋しかったので、ネットで「ロクサーヌ・ゲイ」と検索したら、TEDで彼女の講演動画が公開されていました。もちろんかぶりつきで見ました(と言ってもスマホにイヤホンをぶっさして、ソファに寝転がって見たのですが)。

www.ted.com

 

 動画の中でいちばん勇気づけられたのは、この言葉でした。

「反男女同権的に思われるかもしれませんが、もし女性が夫の姓に改姓したいならば、それは個人の判断で私が決めることではありません。女性が子育てのために家にいることを選ぶのなら、その選択も祝福できます。問題は女性が自ら経済的に不安定な立場を選択するかどうかではありません。そうした選択をした女性を、社会が経済に不安定なとなるような立場に追い込んでしまうことです。まずはその問題を解決しましょう」

 どう解決するかまでは触れられていないのですが、私にとってはとても勇気づけられる言葉でした。ピンクが好きでも、スカートしかはかなくても、結婚してても、子どもがいても、そして私がもっとも引け目に感じていること、すなわち給料が少なくてとても自立ができない職業に就いていても、フェミニストを自認していいんだ! と思えました。

 長いことフェミニズム周辺をうろうろし続けたのに、私はフェミニストです、と人には言えませんでしたが、これからは堂々と「フェミニストです」と名乗ろうと思います。きっと「あんたのどこがフェミニストなのか」と思われるだろうし、言われることもあるでしょうが、私はフェミニストです。中途半端でぼんやりしていて、隙だらけ、ですけれども。

私はフェミニストなのか?(9)

 再びフェミニズムの本を読むようになりましたが、前にもましてピンと来ませんでした。しかも数年フェミニズムから離れている間に、上野千鶴子は老後問題専門家のようになり、小倉千加子は幼稚園の園長先生になっていました。また、フェミニストとひと口にいっても、ラディカルだのリベラルだのマルクス主義だのいろいろカテゴリー分けされており、それぞれ主義主張があって時には反発しあったりしていて、マイノリティ同士なかようしーな! とイライラすることもありました。

 雨宮まみの著書はとても面白かったのですが、雨宮まみ自身がもがいている最中だということが手に取るように分かり(だからこそたくさんの人が共感できる本を書けたのだと思いますが)、読むのが辛くなったりしました。

 それに、フェミニズムについての著書を出版する人というのは、本を出すくらい筆力があったり、社会的に認知されている人たちです。仕事をバリバリこなしている彼女たちの生活はキラキラしていて、仕事は絶対手放すな、自分ひとりで生活できるだけの給与は手にしておけ、と指南する本も多く、「出産・育児によって給与が下がったことによって夫婦間のバランスが崩れた。このバランスを是正するにはどうすればいいのか」という問いに対する答えを欲していた私には耳の痛いことだらけでした。そりゃ、再び転職して男並みにバリバリ稼げる職業に戻れば、夫には「私も稼いでるんだからつべこべ言うな!」と言い返せるのでしょうが、果たしてそれで解決する問題なのか? と思ったのです。連日の残業で疲弊して、帰宅後料理をする気力もないどころか夫と話すのさえ億劫なあの日々を再現するの? ちっちゃい子どもの世話をしながら? てか延長保育のお迎えにすら間に合わないし。無理ゲーだろ……。

 市井に生きる普通の女性で、私と同じような悩みを持っている人はどう考えてるのだろうか。そんな人たちとはどこで出会えるのだろうかと考えた末、津田塾大学だったか、首都大学東京だったかで「フェミニズムを考える」というようなテーマの市民講座があったので、申し込んでもみました。がなんと、受講生が定員に達さず講座が開かれないことに……。どんだけ人気ないんだフェミニズム、って感じです。

 結局ひとりでもんもんとしながら本を読んだり、ネット記事を漁ったりしていました。そんな中、見つけたのが、ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』です。

私はフェミニストなのか?(8)

「悔しかったらお前も稼いで家計を折半しろ!」

という夫のセリフに私は心底がっかりしました。

 実は再婚した当時、夫は大学院生でした。その時私は転職前で、30代の平均所得よりはかなり稼いでいたので、夫からは生活費や食費を徴収せず、すべて私が出していました。田舎に帰ると、専業主婦の妹や母から「ひもやん!」と言われたりしましたが、私は出せるほうが出せばいいやん、というスタンスで、特に恥ずかしい、と思うこともありませんでした。ニートならともかく、学校に行っているしねえ、と。そういうわけで夫にも、「誰が養ってやってると思ってるんだ!」的発言をしたことがありません。そういう思想がなければ、発言もしないものだと思います。

 なのに私が子どもを産み、時短勤務で給与が下がり、家計を折半しなくなった途端に夫からはこう言われたのです。おかしくない? だって私は男だから、女だから、稼いでいる方がえらいから、だなんて思ったことも言ったこともないのに、あなたはそれを堂々と言う訳? と。

 後に夫からは「あの時はかっとなってつい言ってしまった。ごめん」と謝罪されましたが、同じようなことはくり返し、くり返し起こりました。たとえば子どもが病気になり、どちらが会社を休むかを決めるとき。たとえば夫の飲み会が続き、私のストレスが爆発した時。決まって夫はこういうのです。「だって俺は稼がないといけないんだから、しょうがないだろ!」と。

 私も昔は男性と同じように仕事をしていたし、生活費をすべて払っていた時期もあるので、「稼がなければならないストレス」がいかに大きいものかは分かります。けれども仕事をしながら家のことをひとりでやり、子どもとずっと1対1で対峙しなければならないストレスもかなりのものです。だってあなたは子どもが夜泣きしても起きないじゃないか。だってあなたは子どもがどんなに早起きしても起きないじゃないか。だってあなたは「疲れている、昨日は寝られなかった」を理由に、週末は9時過ぎまで眠りこけているではないか。だってあなたは、家事をちっともしないじゃないか。いったい誰がお風呂を毎日掃除してると思ってるんだ。帰ってビールを飲みながらほおばっているその夕食は、誰が作ってると思ってるんだ!?

 今考えると、ああ私もゆっくり寝たくて、ひとりの時間がほしくて、自由な時間がほしくて余裕がなかったんだね、と思いますが、渦中にあるとき人は冷静になれません。私はこの時期、夫をはじめとする世間の男性すべてが憎かったです。

 そしてそれが、しばらく遠ざかっていたフェミニズムにもう一度触れるきっかけになりました。男の所業に怒りが爆発するとフェミニズムの本を読み漁る。ああ、数年前に経験したこととまったく同じです。ちっとも成長していない自分が嫌になります。

私はフェミニストなのか?(7)

 子育て期の女性にとって、いちばんの強敵とはもちろん夫です。

 私の夫は、ものすごく子育てにかかわっている方だと思います。少なくとも、子どもに関することはすべて私と同等にこなすことができます。起床から寝かしつけまで夫だけでやれるので、仕事の都合でどうしても朝早く行かなければならなかったり、友人と飲みに行ったりする時も「よろしくね」ですみます。とても恵まれていると思います(あ、保育園バッグを用意したり、保育園ノートを記入したりは全然できませんけどね)。

 それでもやっぱり、「えっ!?」と耳を疑うような発言をされることがあります。

 私の職業は(地味な)秘書、夫の職業はエンジニアです。転職するまでは夫と同等に稼いでいましたが、秘書になってから年収は下がりました。そのかわりにこころの平穏を手に入れたので、特に後悔はしていません。一応フルタイムなので、出産までは家計は完全に折半。残った分は各自自由に運用、というスタイルを取っていました。

 それが、産休に入ったら難しくなりました。産休・育休中は、もともとの給与の7割弱しか支給されません。しかし、ベビーベッドに洋服、おむつ、その他もろもろの赤ちゃん用品に支出する金額は馬鹿になりません。夫との話し合いで、「食費および生活雑費(シャンプーとかティッシュペーパーとか)と子どもにかかる経費(保育料含む)は私、その他は夫が出す」という結論になりました。職場に復帰後も、私は時短勤務をしている、すなわち給与が低いので、この取り決めがそのまま生きています。

 するとどうでしょう。今まで夫婦間で保っていたバランスが、ものの見事に崩れました。

 まず、家事がほぼすべて私の仕事になりました。出産前は、夫も掃除をしたり料理をしたりしていましたが、産休・育休中に私が家にいるようになったことをきっかけに、皿洗いを除き、料理・洗濯・掃除その他が私の担当のようになってしまいました。

 時短勤務中だし、私のほうが早く帰るし仕方ない、と最初は思っていたのですが、ちょっと待てよ。夫の会社ではフレックスかつコアタイムに会社にいればそれでよし、という勤務形態が認められています。在宅勤務もOKです。一方「そこにいるのが仕事」である秘書の私は、分刻みでスケジュールを会社に管理されています。私の職場の方が遠いということもあり、家を出るのは私が8時前、夫が8時半。帰ってくるのは私が17時過ぎ、夫が18時過ぎ。実際に家を空けている時間は30分ほどしか変わりません。なのに、どうして私がほとんどすべての家事をこなしているの?

 また、一時期、夫が「仕事でどうしても必要なので、これから3ヶ月毎週日曜日にセミナーに通う」と言い、セミナーに参加していたことがありました。その間私はひとりぼっちで家事育児……。まあ、仕事で必須なら仕方ないか……と諦めていたのですが、ある日SNSでタグ付けされた夫の写真を見て知ってしまったのです。それが夫の仕事にはまったく関係ない、チーズ作り講座だったことを……。

 とても腹が立ちました。子どもが寝た後、膝詰め談判です。だいたい双方とも地方出身でまわりに頼れる親や親戚がおらず、夫婦だけでなんとかやっていかなければいけないのに、チーズ作りをしたいから、と私に3か月にもわたり負担をかけるたあどういうことだ(しかもチーズ作りだなんて最初に言ってなかったし)! と。私だってやりたいこともあれば読みたい本もあるのに、我慢してるのに! と。

 そしたら夫が言ったのです。

「家計を支えてるのは俺だ! 悔しかったらお前も稼いで家計を折半しろ!」

と。

 ああ。絶望。