bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

避妊すれば済むだけの話だろ! から色々と考える(1)

 職場のランチといえば、同僚たちとどうでもいい話をする時間……。わが会社の3大ランチトピックスは、①朝ドラ ②(冬は)フィギュアスケート ③韓流 で、正直私はどの話題にもまったく興味がないのでぼーっとしています。が、たまーに頭をガツンと殴られたかのような気分になる話も飛び出すのです。

 同僚は6:4の割合で既婚者:未婚者で、既婚者にはなぜか全員息子がおり、しかもみな大学生以上。未就学児がいるのは私のみです。勢いランチでは「思春期を迎えた後の男子がいかにめんどくさいか(めしかね=飯と金、しか言わないとか、足が猛烈に臭いとかはまあいいとして、女の子を連れ込んでてものすごくショックとか……いやでもあんたも学生時代は同じことしとっただろ! ていうか大学生で何もないほうがショックだろ! と突っ込みたいのをひたすら我慢)」が話し合われたりするのですが(「malmokkoさんところはいいよねー。2歳くらいがいちばんかわいい! できればそのころに戻りたい!」と締めくくられるのがパターン)、先日「え? は? そこ???」と思ったのが、18歳で、大学1年生の息子を持つ同僚のセリフ。彼女は息子に「大学生になったんだから、女の子とそういうこと(どういうことだ⁉)になるのはしょうがないけど、妊娠したって言って結婚をせまってくる子もいるんだからね、女は怖いんだからね」と教えているのだそうです。

 ちょっと待て。ちーがーうーだーろー! 

 そんなのコンドームつけとけば回避できることじゃん! 「女は怖い」って教えるんじゃなく、「セックスするのは合意の上で。子供がほしくないんだったら避妊しろ。お互い病気を移す可能性がまったくないわけではないんだから、必ずコンドームをつけろ」って教えればいいのではないでしょうか? なんでそこで「女は怖いんだから」と言うわけ? と衝撃的だったのです。

 未婚の同僚から、「malmokkoさんは男の悪口をよく言うけど、そんな男たちに育てたのは母親だからな!」とよく言われてドキッとするのですが、確かに母親から「女は怖い」と言われて育ったらミソジニーにもなるわいな、と思いました。もちろん、父親も子育てに参加するべきだし、男たちを育てたのは母だけでなく父でもあるわけなのですが、実質的に我々世代まではほとんどの家庭で母親が子育ての大半を担っているというのが現状です。

 なんだかね、と思いました。男がこういうことを言うのなら「ふん、ミソジニーホモソーシャルめ!」と思えばすむような気もしますが、女性が言うとはね。おそらくこの同僚は、女でありながら女である自分を(深層心理では)恨んでいるのだとは思いますが、じゃあどうすればそういうお母さんが減るのでしょうか。お父さん=パートナーとの関係をよくするしかないような気がするのですが、滅私奉公していて、家に帰ったらバタンキュー、家族に費やすエネルギー0のお父さんだとそれも無理だよな、と思うのです。

 

続く。

金麦のCMに嫌悪感を持つ理由

 ご多分にもれず、私も金麦のCM(檀れいバージョン)が大嫌いです。通勤電車の中で、この広告を見るたびムカムカしています。

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 「死んだ夫を待つ狂女」とか「こんな女いねーよ」とか「男に媚びてる」とかさんざんな言われようですが、仕方ありません。このCMには確かに神経を逆なでするものがあります。昨日も「なぜこんなにむかつくのか」について電車の中でずっと考えていて(病んでる)、自分がこのCMが嫌いな理由がようやく分かりました。それは、

 

檀れいが2歳児だから。

 

 うちには2歳の男児がいるのですが、彼の動きは金麦CMの檀れいそのまんまです。あのテンション、あの大袈裟な動き、「あいあーい!」と訳のわからぬ言葉を大声で繰り返すところがまさに2歳児です。そしてカメラ(主体。たぶん男目線)がねちこくその動きを追う、客体とされている女(子どものいないカップルの妻、と思わせたいのかもしれませんが、私にはプロの愛人にしか見えません)を2歳児に模す、ということは、主体である男が「女なんかさー、これくらい馬鹿なのがちょーどいいんだよ。扱いやすくてさあ」と思っているということです。

 で、本当に2歳児の知能しかないと困るので(だってイヤイヤとかされたらものすごーく面倒だし)、CMでのモノローグやら電車内の広告では一見詩的・文学的なことをつぶやいてみせ、「私だって考えてるの。でもそれをすべて呑み込んだ上ではしゃいでるんだよ」ということをアピールしているのです。女性の中にも、「ほんとは賢いけれど、オトコの前では幼稚なふりができる私。うふ」と思っている人は結構な割合でいます。私が夫(と、ともすると男性全体)について愚痴ると、「そうよねーって言って、掌でころがしておけばいいのよー」とアドバイスされることはよくあります。

 でもそれって、お互い馬鹿にしてるよね? と思うのです。男は「女は馬鹿であれ」と思い、女は「男なんて、女が馬鹿のふりしてりゃ喜ぶんでしょ」と考えているなんて……。これは自戒も込めて、なのですが、男女限らず、他人とは(夫婦とはいえ、カップルとはいえ所詮は他人)やっぱり話をしないと分からないし、話をしてみると意外な発見があったりして楽しいし、面白いと思うのです。話をするには考えないといけないので、馬鹿(なふり)ではいられません。

 しかしサントリーって、ほんと炎上させるの上手いよな(注:ここで私が言っているのは「頂」のことであって、水原希子のことではありません。水原希子は好きではないけれど、あれを炎上させた人はどうかしていると思います、がそれはまた別の話)。まあ、佐治敬三開高健山口瞳、ってめっちゃホモソーシャルミソジニーやからなあ……と妙に納得してしまうのでした。

嫉妬しているのではないのだ

 ニュースサイトをうろうろしていると、時折「……!!」と絶句してしまいそうなものに出くわします。たとえばこれ。

www.excite.co.jp

 40代、50代になっても若く(見え)てきれいな女性、いわゆる「美魔女」を叩いているのは女性、しかもそれは「美魔女への攻撃は同性の“羨望”の表れ」=女性が美魔女に嫉妬しているからである、という主旨なのですが……。

 ええええええええ!? そうなの!? みんな嫉妬するから叩いてるの!? っていうか、ネット上で美魔女を叩いてるのが女だってどうやって分かるの? 匿名なのに? 性別も偽ろうと思えば偽り放題なのに?

 私は「美魔女」を見ても、羨ましいと思わなければ「ズル」をしているとも、「図々しい」とも思いません。ただ、勘弁してよ……とやりきれない思いになることはあります。しかしそれは嫉妬心からではなく、小奇麗な中年女が増えると、それがスタンダードになってしまい、普通に生きている中年女(若々しく見える訳でもなければ美しくもない)にしわ寄せが来るからです。ためしに自分の小さい時の写真が貼ってあるアルバムを見てみてください。一緒に写っている母親や祖母、親戚たちの実年齢が、見た目よりずっと若いことに驚くはずです。年齢と見た目のハードルは、確実に上がっています。

 私だって本当はもっとぐうたら年を取りたいのに、「劣化した」と陰口をたたかれるのがいやなせいで、6週間ごとに白髪を染め、1か月に1度顔パックをして、2日に1回ヘアトリートメントをし、毎日化粧をしています。美容院や整骨院に行けば、「女性はいくつになってもきれいでいなくちゃ!」とはっぱをかけられます。本当にしんどいです……。いや、だったら全部やめてしまえばいいのですが、そしたら確実に職場の同僚たちから「……どうしたんだろうね、なんかあったんだろうね、ひそひそひそ……」と噂されるに決まっています。人のことを気にしすぎと言われればそれまでなのですが、人のことを気にせずにどうやって社会生活を送れるのか知りたいです……。

 

 というわけで(どういうわけだ?)、美魔女に対して嫌悪感を持つのは決して嫉妬からではない、のです。こうした記事を読むといつも思うことなのですが、中高年の男性がしたり顔(今回は「精神科医」の肩書きがついているだけにいっそうたちが悪い。俺は人間の心についてよーく知ってるぞ、と思わせるから。しかし周囲に5人以上精神科医がいる―ただしかかっているわけではないのでお間違えなく―私に言わせると、精神科医って何にも分かってないな! と思うこともよくあります)で「女は嫉妬深いからな!」と、なんでもかんでも「女性同士の嫉妬心」を理由にするのはやめていただきたいです。うちら、巷でかまびすしく言われるほど、きれいな女やもてる女にやきもち焼いてないけど? って感じです。

「旅するフランス語」が本当に嫌い

 NHKの語学講座を結構見ています。とはいえ新しい言語を習得したい! という向上心からではなく、息子がなぜか朝6時という「うそでしょ、もうちょっと寝てて……」という時間に起きるので、テレビをつけると語学講座をやっているからです。

 NHKの語学講座(英語除く)といえば、その言語が(ほぼ)全くできない人が、一から頑張って、半年経つ頃には結構しゃべれるようになっててその進歩にまわりもびっくり! というシナリオがセオリーな訳です。「テレビで中国語」では森迫永依が声調をダメ出しされながらも一生懸命発音し、「旅するスペイン語」では平岳大が、「イタリア語」では東儀秀樹が女性名詞や男性名詞、単数形と複数形の違いに苦しみながらも自分で文章を組み立て、ペアを組んでいる出演者からつっこまれながらも頑張っており、そこに視聴者は自分の姿を重ね、なおかつ「間違ってもいいんだ」と勇気づけられる……のだと思うのです。

 それが、この「旅するフランス語」ときたら!!

cgi2.nhk.or.jp

 きれいなおべべを着た常盤貴子が、パートナーの男性と一緒にパリやらストラスブールやらのおしゃれなレストランやショップを見て回り、常盤貴子は男性に日本語で話しかけ、男性はフランス語で会話。常盤貴子は「ふーんそうなんだー」な体。レストランやショップで店員と話す時も、自分で試行錯誤するのではなく、小首をかしげて隣の男性に「ね、こういう時なんて言うの?」と聞き、言われたフレーズをまんまおうむ返しするという体たらくです。フランス語を勉強する気、ゼロじゃん! 

 いやしかしそんなふざけたフランス語講座も9月いっぱいで終わるはず。そしたら他の人に変わるはず。そしたらもう少しましになるはず、と期待していたのですが、なぜか常盤貴子、続行です……イタリア語もスペイン語もドイツ語も出演者が変わるのに……。NHKもちょっとは考えろや! なんで私の受信料で常盤貴子にパリ旅行させんといかんねん! ていうかなんで私の受信料で常盤貴子のプロモーションビデオ撮ってるねん! と毒づいてしまいます。

 10月からもフランス語の日だけはチャンネルを1に替え、粛々と「おはよう日本」6時台を見ようと思います。

刷り込みは恐ろしい

 フェミニストを自認しているくらいなので、もちろんレイプも痴漢もセクハラも許せません。私には小さい息子がひとりいますが、息子がまだ赤ちゃんの頃から、「万が一お前が誰かをレイプしたら、おかあさんはあんたのおちんちんとたまたまをちょん切るで」と心の中で唱えながら育児をしているほどです(歪んでるな、この母親)。

 ですからこの本も、「レイピスト許すまじ!」な感じで、ものすごい形相で読み始めました。

www.akishobo.com

アメリカではほぼ5人にひとりがレイプの被害に遭っていると知って驚愕し、地元で大変人気のあるアメフト選手によるレイプに身の毛がよだち、無罪になったジョーダン・ジョンソンを弁護した元女性検察官に対する怒りに震え、被害者に対する心無いバッシングをする有象無象の人たちに嫌悪感を抱いた……のは確かなのですが、それにもましてショックだったのは自分自身の考え方でした。

 レイプのほとんどが友人・知人によるものだということを、私は知っています。露出の高い洋服を着ているからと言って、それが性交を承諾する意味にはならないと、強く思います(あんたのために着飾ってるんじゃねーんだよ! と言いたいと思ったことのある女性は決して少なくないはず)。どちらかが少しでも「いやだ」と言えば性交はしてはならないですし、レイプもののAVにいたっては反吐が出るほど嫌いです。そんなの当たり前です。

 と思っていたのですが、この本を読んでいると、自分自身もとんでもない刷り込みをされているということに気が付きます。「レイプ、だめ、ぜったい」と思っているくせに。

 たとえば、

1)「小学校からの親友だと思っていた男性を含め、友人宅でみんなと飲んでいたが、深夜に帰宅するのが不安だったので、みんなでその家に泊まった。カウチで寝ていて違和感を感じて起きたら、レイプされていた」

 これは絶対にアウトだと分かります。他の友人たちもいるのに、小学校からの幼馴染でお互い恋愛感情はないのに、寝込みを襲うなんてこの卑怯者! です。

 しかし、こちらのケースはどうでしょう。

2)「前からちょっとかわいいな、と思っていて、まあするのもありかなという感じだった。自分の家に夜ふたりっきりになっていちゃいちゃしていたけれど、性交してもいいとは言ってない。いやだ、と言ったのに無理矢理押さえつけられてレイプされた」

 "どちらかが少しでも「いやだ」と言えば性交はしてはならない"と私は考えています。それなのに、こういう事例を読むと「ちょっとあんた、それはあまりにも浅はかなんではないの? 男と密室でふたりきりになるなんて、今日はOKよ、というサインを送ってると思われてもしゃーないやろ」と思ってしまっていて、そんな自分にものすごく腹が立つのです! だってそれこそ、男社会による刷り込みだからです。今日はOKよ、というサインなんてないのです。だいたいOKの時は「サイン」なんて出さずにガンガンいくし、途中で「やめて」「いやだ」なんて言いません。「なんかー密室でふたりになってるしぃ、かわいいと思ってたって本人も言ってるしぃ、いちゃいちゃもしてるしなぁ」と思うだなんて、「レイプ事件は立証が難しいから」とほとんど追訴せず、挙句の果てには被害者を攻撃する側にまわったこの本に出てくる女性検察官/弁護士を責めることなどできません。

 とかく女性は、「自分の身は自分で守れ」と言われます。私も「(車であれ部屋であれ、野外! であれ)ふたりっきりになった時点でやられてもいいという意味」と、小さい頃から両親に言われて育ちました。「だから気をつけなあかん」と。「15から40まで、オトコの頭の中はしたいばっかり」とも言われて育ちました。でも、そうではない人ももちろんいるだろうし、たとえそうだとしても理性で抑えられる人はいるし、それよりなにより「いやだ」「やめて」と言われたことはしない、というのは人として当たり前のことだろう? と思います。酔っていたから、若いから、将来性のある人だから、女に隙があるから、という理由でレイプが見過ごされるなんて、あってはならないことです。

 刷り込みは恐ろしい。常に自問して考え続けていないと、水は低きに流れ、人は易きに流れるということを思い知った1冊だったのでした。

私はフェミニストなのか?(10)はい、そうです!

 ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』は、サイゾーウーマンのブックレビューコーナーで知りました。正直最初は「ま、読んでみるか」程度だったので書店では購入せず、近所の図書館で予約しました。予約、といっても人気のないフェミ本のことですから順番待ちをせずにすみ、翌日には「取りに来てください」メールが入っていました。

※余談ですがサイゾーウーマンのブックレビューは、フェミニズム本にカテゴライズして良さそうなも多数取り上げていて参考になります。しかしジャニーズも芸能ネタもエロも好きで、なおかつフェミ本を読む女性が日本にいったい何人くらいいるのか、気になるところではあります。

www.cyzowoman.com

 子どもを寝かしつけた後、「他に読むものもないしな」とこの本を手に取ったら、その後2日間、自分の自由時間はすべてこの本を読むことにあてていました。目から鱗が1800枚ぐらい落ちました。読み終わるのが惜しくて、ちょっと読むスピードを落とすか……とまで思ったりしました。

 読み終わってあまりにも淋しかったので、ネットで「ロクサーヌ・ゲイ」と検索したら、TEDで彼女の講演動画が公開されていました。もちろんかぶりつきで見ました(と言ってもスマホにイヤホンをぶっさして、ソファに寝転がって見たのですが)。

www.ted.com

 

 動画の中でいちばん勇気づけられたのは、この言葉でした。

「反男女同権的に思われるかもしれませんが、もし女性が夫の姓に改姓したいならば、それは個人の判断で私が決めることではありません。女性が子育てのために家にいることを選ぶのなら、その選択も祝福できます。問題は女性が自ら経済的に不安定な立場を選択するかどうかではありません。そうした選択をした女性を、社会が経済に不安定なとなるような立場に追い込んでしまうことです。まずはその問題を解決しましょう」

 どう解決するかまでは触れられていないのですが、私にとってはとても勇気づけられる言葉でした。ピンクが好きでも、スカートしかはかなくても、結婚してても、子どもがいても、そして私がもっとも引け目に感じていること、すなわち給料が少なくてとても自立ができない職業に就いていても、フェミニストを自認していいんだ! と思えました。

 長いことフェミニズム周辺をうろうろし続けたのに、私はフェミニストです、と人には言えませんでしたが、これからは堂々と「フェミニストです」と名乗ろうと思います。きっと「あんたのどこがフェミニストなのか」と思われるだろうし、言われることもあるでしょうが、私はフェミニストです。中途半端でぼんやりしていて、隙だらけ、ですけれども。

私はフェミニストなのか?(9)

 再びフェミニズムの本を読むようになりましたが、前にもましてピンと来ませんでした。しかも数年フェミニズムから離れている間に、上野千鶴子は老後問題専門家のようになり、小倉千加子は幼稚園の園長先生になっていました。また、フェミニストとひと口にいっても、ラディカルだのリベラルだのマルクス主義だのいろいろカテゴリー分けされており、それぞれ主義主張があって時には反発しあったりしていて、マイノリティ同士なかようしーな! とイライラすることもありました。

 雨宮まみの著書はとても面白かったのですが、雨宮まみ自身がもがいている最中だということが手に取るように分かり(だからこそたくさんの人が共感できる本を書けたのだと思いますが)、読むのが辛くなったりしました。

 それに、フェミニズムについての著書を出版する人というのは、本を出すくらい筆力があったり、社会的に認知されている人たちです。仕事をバリバリこなしている彼女たちの生活はキラキラしていて、仕事は絶対手放すな、自分ひとりで生活できるだけの給与は手にしておけ、と指南する本も多く、「出産・育児によって給与が下がったことによって夫婦間のバランスが崩れた。このバランスを是正するにはどうすればいいのか」という問いに対する答えを欲していた私には耳の痛いことだらけでした。そりゃ、再び転職して男並みにバリバリ稼げる職業に戻れば、夫には「私も稼いでるんだからつべこべ言うな!」と言い返せるのでしょうが、果たしてそれで解決する問題なのか? と思ったのです。連日の残業で疲弊して、帰宅後料理をする気力もないどころか夫と話すのさえ億劫なあの日々を再現するの? ちっちゃい子どもの世話をしながら? てか延長保育のお迎えにすら間に合わないし。無理ゲーだろ……。

 市井に生きる普通の女性で、私と同じような悩みを持っている人はどう考えてるのだろうか。そんな人たちとはどこで出会えるのだろうかと考えた末、津田塾大学だったか、首都大学東京だったかで「フェミニズムを考える」というようなテーマの市民講座があったので、申し込んでもみました。がなんと、受講生が定員に達さず講座が開かれないことに……。どんだけ人気ないんだフェミニズム、って感じです。

 結局ひとりでもんもんとしながら本を読んだり、ネット記事を漁ったりしていました。そんな中、見つけたのが、ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』です。