bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

私はフェミニストなのか?(5)

 小倉千加子の「嫌いなもの:結婚しているフェミニスト」という一文を読んだのをきっかけに、自分はフェミニスト失格だと勝手に思い込み、同時期に離婚、再婚、転職、出産というてんこもりのライフイベントに見舞われた私は、「フェミニスト」と「フェミニズム」について語るのを止めました。

 結婚2回もしちゃったしな。2人目の夫から「似合わないからズボン履くな」と言われて以来スカートしか履いてないし。しかも転職して就いた職業は「秘書」です。男女差別について日頃深く考えることのない人たちが、「女性らしい、きめ細やかさを活かせる職業ですね」と言いそうな仕事です。その通り、お茶くみやコピー、時には上司のコートのボタン付けや靴下の買い物まで命じられるなど、女性らしさを存分に活かせる仕事です! 苦笑。

 その上、ライフプランにはなかった出産までしてしまいました。しかも「自分には女の子が産まれるはず」と信じており、友人や職場の同僚からも「きっと女の子だよ、そんな気がする」と言われていたのに、「立派なものがついておりますな」と医師からの指摘。そうです、子どもの性別は男だったのです。それを知った時、「ああ、私が女性を差別する側の性を産んでしまうとは……!」と思ったあたりに、私の中にもまだフェミニズムの片鱗が残っていた、と言えるでしょうか。

 産まれて初めて経験する乳幼児の育児は、凄まじく大変でした。そもそも子どもにまったく興味がなく(白状すると、出産前は飛行機や電車で自分の近くに子どもが座ると「あああああ最悪!」と苦々しく思っていました。すみません)、自分の子どもですら「死んだらどうしよう」と責任の重さに怯えるばかりでまったく可愛いと思えませんでした。最初の2か月は毎日泣き暮らし、その後もただただ「殺さず育てなければいけない」という責任感だけで育児をしていました。外の世界では、北原みのりが、雨宮まみが、川上未映子が、マツコ・デラックスが、私が思う「フェミニスト」として活躍していましたが、本どころかPCを開く余裕もなかった私は、スマホの小さい画面で見るインターネットで、彼らの発言に細切れで触れることしかできませんでした。

 ああ、自分はこうして馬鹿になっていくのだな、と思いました。ずっと子どもと対峙して、読みたいものも読めず、知りたい情報からも隔離され、世間から取り残されていくのだな、と。

 そんな、絶望で真っ暗な日常がゆっくりと白み始めたのは、子どもを保育園に預け職場復帰し、しばらく経ってからのことです。子どもが夜泣きをしなくなりようやくおしゃべりを始めたのをきっかけに、「可愛いやん」とまがりなりにも思えるようになり、自分の気持ちに余裕が出てきたのでした。