bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

刷り込みは恐ろしい

 フェミニストを自認しているくらいなので、もちろんレイプも痴漢もセクハラも許せません。私には小さい息子がひとりいますが、息子がまだ赤ちゃんの頃から、「万が一お前が誰かをレイプしたら、おかあさんはあんたのおちんちんとたまたまをちょん切るで」と心の中で唱えながら育児をしているほどです(歪んでるな、この母親)。

 ですからこの本も、「レイピスト許すまじ!」な感じで、ものすごい形相で読み始めました。

www.akishobo.com

アメリカではほぼ5人にひとりがレイプの被害に遭っていると知って驚愕し、地元で大変人気のあるアメフト選手によるレイプに身の毛がよだち、無罪になったジョーダン・ジョンソンを弁護した元女性検察官に対する怒りに震え、被害者に対する心無いバッシングをする有象無象の人たちに嫌悪感を抱いた……のは確かなのですが、それにもましてショックだったのは自分自身の考え方でした。

 レイプのほとんどが友人・知人によるものだということを、私は知っています。露出の高い洋服を着ているからと言って、それが性交を承諾する意味にはならないと、強く思います(あんたのために着飾ってるんじゃねーんだよ! と言いたいと思ったことのある女性は決して少なくないはず)。どちらかが少しでも「いやだ」と言えば性交はしてはならないですし、レイプもののAVにいたっては反吐が出るほど嫌いです。そんなの当たり前です。

 と思っていたのですが、この本を読んでいると、自分自身もとんでもない刷り込みをされているということに気が付きます。「レイプ、だめ、ぜったい」と思っているくせに。

 たとえば、

1)「小学校からの親友だと思っていた男性を含め、友人宅でみんなと飲んでいたが、深夜に帰宅するのが不安だったので、みんなでその家に泊まった。カウチで寝ていて違和感を感じて起きたら、レイプされていた」

 これは絶対にアウトだと分かります。他の友人たちもいるのに、小学校からの幼馴染でお互い恋愛感情はないのに、寝込みを襲うなんてこの卑怯者! です。

 しかし、こちらのケースはどうでしょう。

2)「前からちょっとかわいいな、と思っていて、まあするのもありかなという感じだった。自分の家に夜ふたりっきりになっていちゃいちゃしていたけれど、性交してもいいとは言ってない。いやだ、と言ったのに無理矢理押さえつけられてレイプされた」

 "どちらかが少しでも「いやだ」と言えば性交はしてはならない"と私は考えています。それなのに、こういう事例を読むと「ちょっとあんた、それはあまりにも浅はかなんではないの? 男と密室でふたりきりになるなんて、今日はOKよ、というサインを送ってると思われてもしゃーないやろ」と思ってしまっていて、そんな自分にものすごく腹が立つのです! だってそれこそ、男社会による刷り込みだからです。今日はOKよ、というサインなんてないのです。だいたいOKの時は「サイン」なんて出さずにガンガンいくし、途中で「やめて」「いやだ」なんて言いません。「なんかー密室でふたりになってるしぃ、かわいいと思ってたって本人も言ってるしぃ、いちゃいちゃもしてるしなぁ」と思うだなんて、「レイプ事件は立証が難しいから」とほとんど追訴せず、挙句の果てには被害者を攻撃する側にまわったこの本に出てくる女性検察官/弁護士を責めることなどできません。

 とかく女性は、「自分の身は自分で守れ」と言われます。私も「(車であれ部屋であれ、野外! であれ)ふたりっきりになった時点でやられてもいいという意味」と、小さい頃から両親に言われて育ちました。「だから気をつけなあかん」と。「15から40まで、オトコの頭の中はしたいばっかり」とも言われて育ちました。でも、そうではない人ももちろんいるだろうし、たとえそうだとしても理性で抑えられる人はいるし、それよりなにより「いやだ」「やめて」と言われたことはしない、というのは人として当たり前のことだろう? と思います。酔っていたから、若いから、将来性のある人だから、女に隙があるから、という理由でレイプが見過ごされるなんて、あってはならないことです。

 刷り込みは恐ろしい。常に自問して考え続けていないと、水は低きに流れ、人は易きに流れるということを思い知った1冊だったのでした。