bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

私はフェミニストなのか?(3)

 一度「おかしいのではないか」と思い始めると、いろいろなことに気がつくものです。それまではまるで気にしていなかった、社内事情も観察するようになりました。当時、私は新卒後2年で転職した中小企業に勤めていたのですが、「男性は採用時から正社員、女性はとりあえず契約社員」というのが不文律でした。「男は契約だと(採用しても)来てくれないからな」という理由です(現在では、性別に関係なく採用時には契約社員のようです)。

 驚くべきなのは、私が勤めていた会社の社長が女性だった、ということです。100歩譲って(譲りたくないけど)、社長が60代のたたき上げ男性ならわかります。「女に高い給料払う意味ない! 子ども産んだら休むし! どうせ辞めるし」という、ステレオタイプな男性上位主義者ならわかりやすい。反論もしやすいというものです。けれどもこの会社の社長は女性で、自らも出産・子育てを経験しているのです。にも拘わらず、「男は契約だといい人がこない(正社員だからいい人が来たのかどうかは永遠の謎)、女は契約でもいいのが来る」と信じていたのです。

 さすがにこれはおかしいよね、と思いました。だって同期の(といっても欠員がある時のみ既卒しか採用しないので、厳密な意味での同期はいませんが)男性で、明らかに自分より仕事の能力が優れていて、それゆえに待遇が違う人がいるとは思えなかったからです。確かに男性のほうが労働時間は長いような気はするけれど、それは会社への貢献度とはまったく別の問題だし、雇用形態を変えるのはおかしいのではないか、と思いました。性差別だよね、と。

 

 ちょうどその頃、世間では政治家の不用意な発言が相次いでいました。2001年に石原慎太郎都知事(当時)が「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ」「男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…」などと発言したり(ちなみに彼は「要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、」とも言っていますが、『楢山節考』では70歳を迎えると男女関係なく「楢山まいり」をするのであって、おばあさんだけが捨てられるのではありません。文学者でもある、とは信じられない間違いです)、自民党太田誠一が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と発言したり。

 面と向かって言われたわけではありません。けれどもニュースでこうした発言を聞くたび、女性をなんだと思ってるんだ! と無性に腹が立ちました。これらの発言は政治家によるものなので、ニュースにも取り上げられて世間的によく知られることになりましたが、そういえば「女のくせにタクシー乗るな」も「女なんだからお茶淹れろ」も、根本は同じ問題なのではないかと思いました。なぜ女性というだけで、ひどいことを言われたり、ひどい扱いを受けないといけないのか。なぜやりたいことにはNOと言われ、やりたくないことをやれと言われるのか。そしてこうしたできごとに対し、他の女性たちはどう思っているのか、どう対処すればよいのか知りたい、と思いました。

 そうだ、フェミニズムの本を読んでみればいいのではないか、と思いついたのはこの時です。

 

 

私はフェミニストなのか?(2)

 20代後半になると、妹たちが次々と結婚しました。東京に出てきているのは私だけで、ふたりの妹たちは九州在住です。ふたりとも、地元で生まれ育った男性と結婚し、家庭を持つことになりました。

 妹たちが結婚するより前に、長女である私も一度目の結婚をしていました(と書くと、「あーこの人一回以上結婚してるんだ。やっぱフェミにかぶれた人は幸せな家庭を築けないんだね」という声が聞こえてきます。当たらずとも遠からず、ですね。でも、家庭を築くことだけが幸せではない、ということは言えます)。

 幸い(と何度書くんだ、という感じですが)、一度目の夫も(ということは二度目の=現在の夫も)、男だからこう、女だからそう、という思想の薄い人でした(まったくないとは言いません)。一度目の夫は学生で、仕事をしている私の帰りのほうが遅かったので、平日は夕食を作ってくれました(がその後、「毎日ごはん作るのストレスなんだよ!」と言われ、月曜から金曜はすべて外食、に切り替えました)。私の父のように、ずーっと座ったままで、母や娘に「お茶。タバコ。タバコ、言うたら灰皿も持って来る」と命令するようなこともありませんでした。わが家では、お茶もお酒も、飲みたい人が各自作っていました。いえ、白状すると、私はしょっちゅう「お茶飲みたいから淹れてよ」「あービール飲みたい。買ってきて」と夫に命令さえしていました。

 そんな感じでしたから、盆暮れに実家に帰り、妹たちの夫と会うのは衝撃的な体験でした。だって彼らは、私の父と同じくちーっとも動かないのです。こんにちわー、と玄関から入ってきて、両親にあいさつし居間にどっかと腰を下ろす。その後に妹たちがちっちゃい子どもを連れて入ってきて、子どもの手を洗ったり自分のコートを脱いだりしている間、夫たちは私の父と最近どーだのあーだのという世間話をしています。そうこうしているうちに、食卓には私の母の手料理(と魚屋さんに頼んでさばいてもらった刺身)が並び、男たちは酒盛りを始めます。女たち、つまり私の妹たちは、「おーいおかわり」「さしみしょうゆなくなったでー」「取り皿持ってきてー」「燗つけてくれー」という父や夫たちのリクエストにこたえながら、子どもたちの食事の世話をしています。

 私たち夫婦(元、ですが)には子どもがいませんでした。ですから私は「名誉白人」のような位置づけで、男たちの酒盛りテーブルに夫と一緒に座っていました。

 私の夫(たち、というべきか。だって2回結婚しているから)は、ビールが足りなくなれば自分で冷蔵庫に取りにいきますし、焼酎を割るための氷も勝手に取る。刺身にふつうのしょうゆ(九州ではさしみしょうゆを使うので)をかけたければ台所に取りに行きます。そんなの当たり前です。自分が欲しいものは、自分で取りにいけばいいんです。

 でも、当たり前ではなかったのです。妹たち(とその夫と子ども)が帰った後、両親と飲みなおしていると、父と母は必ず言います。

「あんたなあ、ちょっとは旦那さんの世話したりいや」

と。

 なんでも女がずーっと座って酒を飲んでいて、男が自分の食べたいものや飲みたいものを台所に取りに行くのはたいそう見栄が悪いのだそうです。え? 自分が食べたいものや飲みたいものを、自分で取りに行くのは当たり前のことではないの? 女はそれぞれ自助でやっているのに、なぜ男だけ特別扱いされないといけないの? しかも私の実家で?

 と思ったのが、私が男女差別だ! と憤り、フェミニズムに触れることになったきっかけです。

私はフェミニストなのか?(1)

 両親ともにリベラルで、幼い時からフェミニズムの思想に触れて育った人もいると思います。残念ながら私はそうではありませんでした。

 思春期を迎えるまで、「学校」では男女の性差を感じることがほとんどありませんでした。もちろん男子はうるさい、掃除しない、授業中茶々を入れる。長女気質で体も大きかった私が、ほうきを持って「うるさいよー男子!」などという場面は数々ありましたが、それとジェンダーは結びついていません。幸いにも、女子だからこうしろ、ああしろと言うような先生もおらず、休み時間や放課後は男子と一緒にドッヂボールや缶けりに興じたり、将棋を指したりしていました。

 実際に「あれ?」と思うことが増え始めたのは、就職してからだと記憶しています。新卒で就職した会社も、その後転職した会社も制服はありませんでした。専門職だらけの業界で、一般職と総合職という職種の違いもなかったので、いわゆる「女子だからお茶くみやコピー」と言われたこともありません。そういう意味では恵まれていたのだと思います。

 けれども、いくら勤務先がジェンダー・イコーリティについて意識しなくて済む会社だからといって、まったく嫌な目に遭わないかというとそんなことはありません。

 24歳の時でした。連日23時過ぎまでの残業続きで身も心もクタクタ。会社のある駅から自宅までは地下鉄でたったの3駅ですが、その日は金曜日でした。ただでさえ混雑しているのに、金曜日で酔っ払いだらけの地下鉄に3駅乗るのが辛く、タクシーをつかまえることにしました。地下鉄で3駅。タクシー代は深夜料金加算でも2000円弱。当時の私でも充分払える値段です。何も毎日タクシーで通勤しているわけでもあるまいし。

 飯田橋の交差点でタクシーを止め、乗り込もうとすると、道を歩いていた50代とおぼしき中年男性と目が合いました。するとその男性が言ったのです。

「女のくせにタクシーなんかに乗りやがってよぉ!」

え? 女がタクシーに乗っちゃいけないの? 自分で稼いだお金なのに?

 

 その半年後のことです。両親に看取られて父方の祖母が亡くなりました。通夜の席で、葬儀会社の男性(おそらく30代後半だと思います)が、私と妹を見て言いました。

「では、女性の方はみなさんにお茶を淹れてください」

え? 飲みたい人が各自淹れればいいんじゃないの? なんで女はお茶を淹れろ、とあなたが言うの?

 

 しかし図体の割にぼーっとした私は、この時もまだ、自分の経験が女性に普遍的なものであるとまでは考えが至っていませんでした。「まあ、どこにでもいけすかんおっさんはおるからな」ぐらいで済ませていたのです。

 実際に私が「これはおかしいのではないか」と思い始めたのはその後数年して、妹たちが結婚し、妹の夫たちが実家を訪れるようになってからのことだったのでした。

 

※1/私の通っていた小学校で流行していた遊びです。学校から帰る通学路でしていました。小石をひとつ拾い、鬼の役の子がその小石を蹴って、ほかの子に当てます。みごと当てれば当てられた子が鬼になる、という他愛もない遊びです。