bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

私はフェミニストなのか?(8)

「悔しかったらお前も稼いで家計を折半しろ!」

という夫のセリフに私は心底がっかりしました。

 実は再婚した当時、夫は大学院生でした。その時私は転職前で、30代の平均所得よりはかなり稼いでいたので、夫からは生活費や食費を徴収せず、すべて私が出していました。田舎に帰ると、専業主婦の妹や母から「ひもやん!」と言われたりしましたが、私は出せるほうが出せばいいやん、というスタンスで、特に恥ずかしい、と思うこともありませんでした。ニートならともかく、学校に行っているしねえ、と。そういうわけで夫にも、「誰が養ってやってると思ってるんだ!」的発言をしたことがありません。そういう思想がなければ、発言もしないものだと思います。

 なのに私が子どもを産み、時短勤務で給与が下がり、家計を折半しなくなった途端に夫からはこう言われたのです。おかしくない? だって私は男だから、女だから、稼いでいる方がえらいから、だなんて思ったことも言ったこともないのに、あなたはそれを堂々と言う訳? と。

 後に夫からは「あの時はかっとなってつい言ってしまった。ごめん」と謝罪されましたが、同じようなことはくり返し、くり返し起こりました。たとえば子どもが病気になり、どちらが会社を休むかを決めるとき。たとえば夫の飲み会が続き、私のストレスが爆発した時。決まって夫はこういうのです。「だって俺は稼がないといけないんだから、しょうがないだろ!」と。

 私も昔は男性と同じように仕事をしていたし、生活費をすべて払っていた時期もあるので、「稼がなければならないストレス」がいかに大きいものかは分かります。けれども仕事をしながら家のことをひとりでやり、子どもとずっと1対1で対峙しなければならないストレスもかなりのものです。だってあなたは子どもが夜泣きしても起きないじゃないか。だってあなたは子どもがどんなに早起きしても起きないじゃないか。だってあなたは「疲れている、昨日は寝られなかった」を理由に、週末は9時過ぎまで眠りこけているではないか。だってあなたは、家事をちっともしないじゃないか。いったい誰がお風呂を毎日掃除してると思ってるんだ。帰ってビールを飲みながらほおばっているその夕食は、誰が作ってると思ってるんだ!?

 今考えると、ああ私もゆっくり寝たくて、ひとりの時間がほしくて、自由な時間がほしくて余裕がなかったんだね、と思いますが、渦中にあるとき人は冷静になれません。私はこの時期、夫をはじめとする世間の男性すべてが憎かったです。

 そしてそれが、しばらく遠ざかっていたフェミニズムにもう一度触れるきっかけになりました。男の所業に怒りが爆発するとフェミニズムの本を読み漁る。ああ、数年前に経験したこととまったく同じです。ちっとも成長していない自分が嫌になります。

私はフェミニストなのか?(7)

 子育て期の女性にとって、いちばんの強敵とはもちろん夫です。

 私の夫は、ものすごく子育てにかかわっている方だと思います。少なくとも、子どもに関することはすべて私と同等にこなすことができます。起床から寝かしつけまで夫だけでやれるので、仕事の都合でどうしても朝早く行かなければならなかったり、友人と飲みに行ったりする時も「よろしくね」ですみます。とても恵まれていると思います(あ、保育園バッグを用意したり、保育園ノートを記入したりは全然できませんけどね)。

 それでもやっぱり、「えっ!?」と耳を疑うような発言をされることがあります。

 私の職業は(地味な)秘書、夫の職業はエンジニアです。転職するまでは夫と同等に稼いでいましたが、秘書になってから年収は下がりました。そのかわりにこころの平穏を手に入れたので、特に後悔はしていません。一応フルタイムなので、出産までは家計は完全に折半。残った分は各自自由に運用、というスタイルを取っていました。

 それが、産休に入ったら難しくなりました。産休・育休中は、もともとの給与の7割弱しか支給されません。しかし、ベビーベッドに洋服、おむつ、その他もろもろの赤ちゃん用品に支出する金額は馬鹿になりません。夫との話し合いで、「食費および生活雑費(シャンプーとかティッシュペーパーとか)と子どもにかかる経費(保育料含む)は私、その他は夫が出す」という結論になりました。職場に復帰後も、私は時短勤務をしている、すなわち給与が低いので、この取り決めがそのまま生きています。

 するとどうでしょう。今まで夫婦間で保っていたバランスが、ものの見事に崩れました。

 まず、家事がほぼすべて私の仕事になりました。出産前は、夫も掃除をしたり料理をしたりしていましたが、産休・育休中に私が家にいるようになったことをきっかけに、皿洗いを除き、料理・洗濯・掃除その他が私の担当のようになってしまいました。

 時短勤務中だし、私のほうが早く帰るし仕方ない、と最初は思っていたのですが、ちょっと待てよ。夫の会社ではフレックスかつコアタイムに会社にいればそれでよし、という勤務形態が認められています。在宅勤務もOKです。一方「そこにいるのが仕事」である秘書の私は、分刻みでスケジュールを会社に管理されています。私の職場の方が遠いということもあり、家を出るのは私が8時前、夫が8時半。帰ってくるのは私が17時過ぎ、夫が18時過ぎ。実際に家を空けている時間は30分ほどしか変わりません。なのに、どうして私がほとんどすべての家事をこなしているの?

 また、一時期、夫が「仕事でどうしても必要なので、これから3ヶ月毎週日曜日にセミナーに通う」と言い、セミナーに参加していたことがありました。その間私はひとりぼっちで家事育児……。まあ、仕事で必須なら仕方ないか……と諦めていたのですが、ある日SNSでタグ付けされた夫の写真を見て知ってしまったのです。それが夫の仕事にはまったく関係ない、チーズ作り講座だったことを……。

 とても腹が立ちました。子どもが寝た後、膝詰め談判です。だいたい双方とも地方出身でまわりに頼れる親や親戚がおらず、夫婦だけでなんとかやっていかなければいけないのに、チーズ作りをしたいから、と私に3か月にもわたり負担をかけるたあどういうことだ(しかもチーズ作りだなんて最初に言ってなかったし)! と。私だってやりたいこともあれば読みたい本もあるのに、我慢してるのに! と。

 そしたら夫が言ったのです。

「家計を支えてるのは俺だ! 悔しかったらお前も稼いで家計を折半しろ!」

と。

 ああ。絶望。

私はフェミニストなのか?(6)

 子どもがほんの赤ん坊のうちというのは、女性にとって残酷な時期です。女性から、すべての思考をうばってしまいたいがゆえに、赤ん坊はこういう構造なのか? と思ってしまうほどです。しかし、実際には産後2か月(私がまだ毎日泣き暮らしていた時期です!)で職場に復帰し、バリバリ仕事をしている人もいるのですから、一概に全ての女性にとって育児は地獄である、と語ることはできません。

 少なくとも凡人の私は、最初の2年間にわたってほぼ子どもにかかりっきりで、ほかのことを考える余裕などありませんでした。子どもの生後7か月で、奇跡的に保育園に空きがあり職場に復帰したものの、最初の1年は何が何だか分からないくらいのカオスでした。いつかかってくるかわからない保育園からのお迎えコールに怯え、出産前は読書に明け暮れていた往復の電車では、ほとんど居眠りしていました。子どもの夜泣きでこちらも慢性的寝不足になり、通勤電車で眠らずにはいられなかったのです。

 しかし、そんな時期もとにかくは過ぎ(=子どもが夜通し寝るようになり)、私もだんだん人としての思考力を取り戻してきました。そうすると、生活の中での些細なことが気になり始めました(またか、って感じですが)。

 出産前に転職して得たポジションは「秘書」です(そうです「美人」という枕詞の代名詞です。ですが、私が働く職場は大変地味なので、美人秘書なんてひとりもいません。ちなみに美人、と枕言葉がつくということは、ほぼ100%女性の仕事ですね)。前職での「労働時間=会社への貢献度」という姿勢に嫌気がさし、「なんで能力を売るべき仕事で、悪い意味で時間まで評価されないといけないの? もういいや、こうなったら単純に時間を売る仕事に就こう」と考えての転職でした。前職より確かに給与は下がりましたが、仕事内容はすこぶる単純明快。幸い職場の上司や同僚にも、前職でしょっちゅうあったような「人の足をひっぱる」タイプの人はまったくおらず(まあ、そりゃそうですよね。だって秘書はバイプレーヤーなのですから、足をひっぱる必要もありません)、まじで楽ちん、定時で帰れる、ばんばんざい、という感じでした。

 しかし、です。足はひっぱられなくても、秘書=女=ステレオタイプでしかものを考えられない差別男、は結構な割合でいたのです。

 たとえば私が妊娠した時。直属の上司は「戻ってくればいいよ」と言ってくれ、派遣会社に代理の人を探すよう依頼してくれました。よかった、マタハラにあわなくて……と安堵したのですが、そんな時ほかの部署のトップから言われました。

「妊娠したんだー。〇〇部の部長も残念だろうねえ。あなたがやめちゃうとねえ」

 ????やめるなんて誰も言ってないけど、と思い、「産休・育休とった後、私戻ってきますよ?」と言うと、戻ってくるというのが予想外だったようで、「ま、ほら、でも一度はいなくなるわけだから」と微妙にごまかされました。当時は、「やめるなんて誰にも言ったことがないのに、勘違いかな?」程度にしか思いませんでしたが、じっくり考えてみるとふざけた差別発言です。妊娠・出産した女は、全員仕事を辞めて家庭に入るとでも思ってるのか? と思いました。まあ、この方はそう思っているのでしょうね。

 けれども、それは所詮「隣の部署の上司が言ったこと」です。聞いてくださいよー、うちの社内にも、こんな性差別主義者がいるんですよー、とランチの席での笑い話になるくらいなことです(と言える自分の職場はありがたいと思います。そうではない職場のほうが多いと思うので)。

 最強の敵は、自分のごくごく身近にいたのでした。

私はフェミニストなのか?(5)

 小倉千加子の「嫌いなもの:結婚しているフェミニスト」という一文を読んだのをきっかけに、自分はフェミニスト失格だと勝手に思い込み、同時期に離婚、再婚、転職、出産というてんこもりのライフイベントに見舞われた私は、「フェミニスト」と「フェミニズム」について語るのを止めました。

 結婚2回もしちゃったしな。2人目の夫から「似合わないからズボン履くな」と言われて以来スカートしか履いてないし。しかも転職して就いた職業は「秘書」です。男女差別について日頃深く考えることのない人たちが、「女性らしい、きめ細やかさを活かせる職業ですね」と言いそうな仕事です。その通り、お茶くみやコピー、時には上司のコートのボタン付けや靴下の買い物まで命じられるなど、女性らしさを存分に活かせる仕事です! 苦笑。

 その上、ライフプランにはなかった出産までしてしまいました。しかも「自分には女の子が産まれるはず」と信じており、友人や職場の同僚からも「きっと女の子だよ、そんな気がする」と言われていたのに、「立派なものがついておりますな」と医師からの指摘。そうです、子どもの性別は男だったのです。それを知った時、「ああ、私が女性を差別する側の性を産んでしまうとは……!」と思ったあたりに、私の中にもまだフェミニズムの片鱗が残っていた、と言えるでしょうか。

 産まれて初めて経験する乳幼児の育児は、凄まじく大変でした。そもそも子どもにまったく興味がなく(白状すると、出産前は飛行機や電車で自分の近くに子どもが座ると「あああああ最悪!」と苦々しく思っていました。すみません)、自分の子どもですら「死んだらどうしよう」と責任の重さに怯えるばかりでまったく可愛いと思えませんでした。最初の2か月は毎日泣き暮らし、その後もただただ「殺さず育てなければいけない」という責任感だけで育児をしていました。外の世界では、北原みのりが、雨宮まみが、川上未映子が、マツコ・デラックスが、私が思う「フェミニスト」として活躍していましたが、本どころかPCを開く余裕もなかった私は、スマホの小さい画面で見るインターネットで、彼らの発言に細切れで触れることしかできませんでした。

 ああ、自分はこうして馬鹿になっていくのだな、と思いました。ずっと子どもと対峙して、読みたいものも読めず、知りたい情報からも隔離され、世間から取り残されていくのだな、と。

 そんな、絶望で真っ暗な日常がゆっくりと白み始めたのは、子どもを保育園に預け職場復帰し、しばらく経ってからのことです。子どもが夜泣きをしなくなりようやくおしゃべりを始めたのをきっかけに、「可愛いやん」とまがりなりにも思えるようになり、自分の気持ちに余裕が出てきたのでした。

 

私はフェミニストなのか?(4)

 フェミニズムの本を読めばいい、と思いついたものの、いったい誰が書いたどんな本を読めばよいのかさっぱり分かりませんでした。

 当時の私が唯一知っていたのが、上野千鶴子です。そこでまず『スカートの下の劇場』を読み、『男流文学論』を読み、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』を読み(この本の著書は遥洋子ですが)、そうこうしているうちに小倉千加子のことを知り、田中美津のことを知り、彼女たちの著書も読むようになりました。

 それはもう、面白かったです。夢中で読みました(でも読んでてもすんなり中身が入ってこない『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 』とかは途中で止めてしまいました……)。私がおかしい、嫌だと思ったことを、おかしい、嫌だと思う人は他にもいるんだ、と知ったことに勢いづけられ、この時期の私はにわかフェミニストとして元夫や両親にも自分の考えを滔々と述べていました。元夫は「言いたいことも分かるけどさぁ」とあきれ顔で、母とは大ゲンカになったりしました(映画『デブラ・ウィンガーを探して』をドヤ顔で見せた後です)。

 けれど、ある日、本を読んでいた時のことです。うろ覚えですが、上野千鶴子小倉千加子の共著『ザ・フェミニズム』だったと思います。上野千鶴子が、小倉千加子について「『結婚しているフェミニストは嫌い』と言ったためにいろいろな方面から批判を浴び」というような主旨の発言をしていました。その文章を読んで、ものすごくショックを受けました。

 

わたし、結婚してる! フェミニストって、結婚したらダメやったんか! そういや上野千鶴子小倉千加子田中美津も結婚してない! 

 

 僭越ながら「私と同じことを考えている!」と勝手に共感していた人たちから、「結婚してるアンタはフェミニスト失格。フェミニストを名乗るなんておこがましい」と否定されたように感じました。同じ頃、引っ越し、離婚、また引っ越し、そして再婚、転職、出産……と大きなライフイベントが立て続けに起こったこともあり、私は前ほどの熱意を持ってフェミニズムに触れたり、語ることをしなくなりました。

 

 

私はフェミニストなのか?(3)

 一度「おかしいのではないか」と思い始めると、いろいろなことに気がつくものです。それまではまるで気にしていなかった、社内事情も観察するようになりました。当時、私は新卒後2年で転職した中小企業に勤めていたのですが、「男性は採用時から正社員、女性はとりあえず契約社員」というのが不文律でした。「男は契約だと(採用しても)来てくれないからな」という理由です(現在では、性別に関係なく採用時には契約社員のようです)。

 驚くべきなのは、私が勤めていた会社の社長が女性だった、ということです。100歩譲って(譲りたくないけど)、社長が60代のたたき上げ男性ならわかります。「女に高い給料払う意味ない! 子ども産んだら休むし! どうせ辞めるし」という、ステレオタイプな男性上位主義者ならわかりやすい。反論もしやすいというものです。けれどもこの会社の社長は女性で、自らも出産・子育てを経験しているのです。にも拘わらず、「男は契約だといい人がこない(正社員だからいい人が来たのかどうかは永遠の謎)、女は契約でもいいのが来る」と信じていたのです。

 さすがにこれはおかしいよね、と思いました。だって同期の(といっても欠員がある時のみ既卒しか採用しないので、厳密な意味での同期はいませんが)男性で、明らかに自分より仕事の能力が優れていて、それゆえに待遇が違う人がいるとは思えなかったからです。確かに男性のほうが労働時間は長いような気はするけれど、それは会社への貢献度とはまったく別の問題だし、雇用形態を変えるのはおかしいのではないか、と思いました。性差別だよね、と。

 

 ちょうどその頃、世間では政治家の不用意な発言が相次いでいました。2001年に石原慎太郎都知事(当時)が「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ」「男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…」などと発言したり(ちなみに彼は「要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、」とも言っていますが、『楢山節考』では70歳を迎えると男女関係なく「楢山まいり」をするのであって、おばあさんだけが捨てられるのではありません。文学者でもある、とは信じられない間違いです)、自民党太田誠一が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。まだ正常に近いんじゃないか」と発言したり。

 面と向かって言われたわけではありません。けれどもニュースでこうした発言を聞くたび、女性をなんだと思ってるんだ! と無性に腹が立ちました。これらの発言は政治家によるものなので、ニュースにも取り上げられて世間的によく知られることになりましたが、そういえば「女のくせにタクシー乗るな」も「女なんだからお茶淹れろ」も、根本は同じ問題なのではないかと思いました。なぜ女性というだけで、ひどいことを言われたり、ひどい扱いを受けないといけないのか。なぜやりたいことにはNOと言われ、やりたくないことをやれと言われるのか。そしてこうしたできごとに対し、他の女性たちはどう思っているのか、どう対処すればよいのか知りたい、と思いました。

 そうだ、フェミニズムの本を読んでみればいいのではないか、と思いついたのはこの時です。

 

 

私はフェミニストなのか?(2)

 20代後半になると、妹たちが次々と結婚しました。東京に出てきているのは私だけで、ふたりの妹たちは九州在住です。ふたりとも、地元で生まれ育った男性と結婚し、家庭を持つことになりました。

 妹たちが結婚するより前に、長女である私も一度目の結婚をしていました(と書くと、「あーこの人一回以上結婚してるんだ。やっぱフェミにかぶれた人は幸せな家庭を築けないんだね」という声が聞こえてきます。当たらずとも遠からず、ですね。でも、家庭を築くことだけが幸せではない、ということは言えます)。

 幸い(と何度書くんだ、という感じですが)、一度目の夫も(ということは二度目の=現在の夫も)、男だからこう、女だからそう、という思想の薄い人でした(まったくないとは言いません)。一度目の夫は学生で、仕事をしている私の帰りのほうが遅かったので、平日は夕食を作ってくれました(がその後、「毎日ごはん作るのストレスなんだよ!」と言われ、月曜から金曜はすべて外食、に切り替えました)。私の父のように、ずーっと座ったままで、母や娘に「お茶。タバコ。タバコ、言うたら灰皿も持って来る」と命令するようなこともありませんでした。わが家では、お茶もお酒も、飲みたい人が各自作っていました。いえ、白状すると、私はしょっちゅう「お茶飲みたいから淹れてよ」「あービール飲みたい。買ってきて」と夫に命令さえしていました。

 そんな感じでしたから、盆暮れに実家に帰り、妹たちの夫と会うのは衝撃的な体験でした。だって彼らは、私の父と同じくちーっとも動かないのです。こんにちわー、と玄関から入ってきて、両親にあいさつし居間にどっかと腰を下ろす。その後に妹たちがちっちゃい子どもを連れて入ってきて、子どもの手を洗ったり自分のコートを脱いだりしている間、夫たちは私の父と最近どーだのあーだのという世間話をしています。そうこうしているうちに、食卓には私の母の手料理(と魚屋さんに頼んでさばいてもらった刺身)が並び、男たちは酒盛りを始めます。女たち、つまり私の妹たちは、「おーいおかわり」「さしみしょうゆなくなったでー」「取り皿持ってきてー」「燗つけてくれー」という父や夫たちのリクエストにこたえながら、子どもたちの食事の世話をしています。

 私たち夫婦(元、ですが)には子どもがいませんでした。ですから私は「名誉白人」のような位置づけで、男たちの酒盛りテーブルに夫と一緒に座っていました。

 私の夫(たち、というべきか。だって2回結婚しているから)は、ビールが足りなくなれば自分で冷蔵庫に取りにいきますし、焼酎を割るための氷も勝手に取る。刺身にふつうのしょうゆ(九州ではさしみしょうゆを使うので)をかけたければ台所に取りに行きます。そんなの当たり前です。自分が欲しいものは、自分で取りにいけばいいんです。

 でも、当たり前ではなかったのです。妹たち(とその夫と子ども)が帰った後、両親と飲みなおしていると、父と母は必ず言います。

「あんたなあ、ちょっとは旦那さんの世話したりいや」

と。

 なんでも女がずーっと座って酒を飲んでいて、男が自分の食べたいものや飲みたいものを台所に取りに行くのはたいそう見栄が悪いのだそうです。え? 自分が食べたいものや飲みたいものを、自分で取りに行くのは当たり前のことではないの? 女はそれぞれ自助でやっているのに、なぜ男だけ特別扱いされないといけないの? しかも私の実家で?

 と思ったのが、私が男女差別だ! と憤り、フェミニズムに触れることになったきっかけです。