bonyarifeminist’s blog

うすぼんやりとした自称フェミニストのブログ。こちらはバックアップ用。

私はフェミニストなのか?(10)はい、そうです!

 ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』は、サイゾーウーマンのブックレビューコーナーで知りました。正直最初は「ま、読んでみるか」程度だったので書店では購入せず、近所の図書館で予約しました。予約、といっても人気のないフェミ本のことですから順番待ちをせずにすみ、翌日には「取りに来てください」メールが入っていました。

※余談ですがサイゾーウーマンのブックレビューは、フェミニズム本にカテゴライズして良さそうなも多数取り上げていて参考になります。しかしジャニーズも芸能ネタもエロも好きで、なおかつフェミ本を読む女性が日本にいったい何人くらいいるのか、気になるところではあります。

www.cyzowoman.com

 子どもを寝かしつけた後、「他に読むものもないしな」とこの本を手に取ったら、その後2日間、自分の自由時間はすべてこの本を読むことにあてていました。目から鱗が1800枚ぐらい落ちました。読み終わるのが惜しくて、ちょっと読むスピードを落とすか……とまで思ったりしました。

 読み終わってあまりにも淋しかったので、ネットで「ロクサーヌ・ゲイ」と検索したら、TEDで彼女の講演動画が公開されていました。もちろんかぶりつきで見ました(と言ってもスマホにイヤホンをぶっさして、ソファに寝転がって見たのですが)。

www.ted.com

 

 動画の中でいちばん勇気づけられたのは、この言葉でした。

「反男女同権的に思われるかもしれませんが、もし女性が夫の姓に改姓したいならば、それは個人の判断で私が決めることではありません。女性が子育てのために家にいることを選ぶのなら、その選択も祝福できます。問題は女性が自ら経済的に不安定な立場を選択するかどうかではありません。そうした選択をした女性を、社会が経済に不安定なとなるような立場に追い込んでしまうことです。まずはその問題を解決しましょう」

 どう解決するかまでは触れられていないのですが、私にとってはとても勇気づけられる言葉でした。ピンクが好きでも、スカートしかはかなくても、結婚してても、子どもがいても、そして私がもっとも引け目に感じていること、すなわち給料が少なくてとても自立ができない職業に就いていても、フェミニストを自認していいんだ! と思えました。

 長いことフェミニズム周辺をうろうろし続けたのに、私はフェミニストです、と人には言えませんでしたが、これからは堂々と「フェミニストです」と名乗ろうと思います。きっと「あんたのどこがフェミニストなのか」と思われるだろうし、言われることもあるでしょうが、私はフェミニストです。中途半端でぼんやりしていて、隙だらけ、ですけれども。

私はフェミニストなのか?(9)

 再びフェミニズムの本を読むようになりましたが、前にもましてピンと来ませんでした。しかも数年フェミニズムから離れている間に、上野千鶴子は老後問題専門家のようになり、小倉千加子は幼稚園の園長先生になっていました。また、フェミニストとひと口にいっても、ラディカルだのリベラルだのマルクス主義だのいろいろカテゴリー分けされており、それぞれ主義主張があって時には反発しあったりしていて、マイノリティ同士なかようしーな! とイライラすることもありました。

 雨宮まみの著書はとても面白かったのですが、雨宮まみ自身がもがいている最中だということが手に取るように分かり(だからこそたくさんの人が共感できる本を書けたのだと思いますが)、読むのが辛くなったりしました。

 それに、フェミニズムについての著書を出版する人というのは、本を出すくらい筆力があったり、社会的に認知されている人たちです。仕事をバリバリこなしている彼女たちの生活はキラキラしていて、仕事は絶対手放すな、自分ひとりで生活できるだけの給与は手にしておけ、と指南する本も多く、「出産・育児によって給与が下がったことによって夫婦間のバランスが崩れた。このバランスを是正するにはどうすればいいのか」という問いに対する答えを欲していた私には耳の痛いことだらけでした。そりゃ、再び転職して男並みにバリバリ稼げる職業に戻れば、夫には「私も稼いでるんだからつべこべ言うな!」と言い返せるのでしょうが、果たしてそれで解決する問題なのか? と思ったのです。連日の残業で疲弊して、帰宅後料理をする気力もないどころか夫と話すのさえ億劫なあの日々を再現するの? ちっちゃい子どもの世話をしながら? てか延長保育のお迎えにすら間に合わないし。無理ゲーだろ……。

 市井に生きる普通の女性で、私と同じような悩みを持っている人はどう考えてるのだろうか。そんな人たちとはどこで出会えるのだろうかと考えた末、津田塾大学だったか、首都大学東京だったかで「フェミニズムを考える」というようなテーマの市民講座があったので、申し込んでもみました。がなんと、受講生が定員に達さず講座が開かれないことに……。どんだけ人気ないんだフェミニズム、って感じです。

 結局ひとりでもんもんとしながら本を読んだり、ネット記事を漁ったりしていました。そんな中、見つけたのが、ロクサーヌ・ゲイの著書『バッド・フェミニスト』です。

私はフェミニストなのか?(8)

「悔しかったらお前も稼いで家計を折半しろ!」

という夫のセリフに私は心底がっかりしました。

 実は再婚した当時、夫は大学院生でした。その時私は転職前で、30代の平均所得よりはかなり稼いでいたので、夫からは生活費や食費を徴収せず、すべて私が出していました。田舎に帰ると、専業主婦の妹や母から「ひもやん!」と言われたりしましたが、私は出せるほうが出せばいいやん、というスタンスで、特に恥ずかしい、と思うこともありませんでした。ニートならともかく、学校に行っているしねえ、と。そういうわけで夫にも、「誰が養ってやってると思ってるんだ!」的発言をしたことがありません。そういう思想がなければ、発言もしないものだと思います。

 なのに私が子どもを産み、時短勤務で給与が下がり、家計を折半しなくなった途端に夫からはこう言われたのです。おかしくない? だって私は男だから、女だから、稼いでいる方がえらいから、だなんて思ったことも言ったこともないのに、あなたはそれを堂々と言う訳? と。

 後に夫からは「あの時はかっとなってつい言ってしまった。ごめん」と謝罪されましたが、同じようなことはくり返し、くり返し起こりました。たとえば子どもが病気になり、どちらが会社を休むかを決めるとき。たとえば夫の飲み会が続き、私のストレスが爆発した時。決まって夫はこういうのです。「だって俺は稼がないといけないんだから、しょうがないだろ!」と。

 私も昔は男性と同じように仕事をしていたし、生活費をすべて払っていた時期もあるので、「稼がなければならないストレス」がいかに大きいものかは分かります。けれども仕事をしながら家のことをひとりでやり、子どもとずっと1対1で対峙しなければならないストレスもかなりのものです。だってあなたは子どもが夜泣きしても起きないじゃないか。だってあなたは子どもがどんなに早起きしても起きないじゃないか。だってあなたは「疲れている、昨日は寝られなかった」を理由に、週末は9時過ぎまで眠りこけているではないか。だってあなたは、家事をちっともしないじゃないか。いったい誰がお風呂を毎日掃除してると思ってるんだ。帰ってビールを飲みながらほおばっているその夕食は、誰が作ってると思ってるんだ!?

 今考えると、ああ私もゆっくり寝たくて、ひとりの時間がほしくて、自由な時間がほしくて余裕がなかったんだね、と思いますが、渦中にあるとき人は冷静になれません。私はこの時期、夫をはじめとする世間の男性すべてが憎かったです。

 そしてそれが、しばらく遠ざかっていたフェミニズムにもう一度触れるきっかけになりました。男の所業に怒りが爆発するとフェミニズムの本を読み漁る。ああ、数年前に経験したこととまったく同じです。ちっとも成長していない自分が嫌になります。

私はフェミニストなのか?(7)

 子育て期の女性にとって、いちばんの強敵とはもちろん夫です。

 私の夫は、ものすごく子育てにかかわっている方だと思います。少なくとも、子どもに関することはすべて私と同等にこなすことができます。起床から寝かしつけまで夫だけでやれるので、仕事の都合でどうしても朝早く行かなければならなかったり、友人と飲みに行ったりする時も「よろしくね」ですみます。とても恵まれていると思います(あ、保育園バッグを用意したり、保育園ノートを記入したりは全然できませんけどね)。

 それでもやっぱり、「えっ!?」と耳を疑うような発言をされることがあります。

 私の職業は(地味な)秘書、夫の職業はエンジニアです。転職するまでは夫と同等に稼いでいましたが、秘書になってから年収は下がりました。そのかわりにこころの平穏を手に入れたので、特に後悔はしていません。一応フルタイムなので、出産までは家計は完全に折半。残った分は各自自由に運用、というスタイルを取っていました。

 それが、産休に入ったら難しくなりました。産休・育休中は、もともとの給与の7割弱しか支給されません。しかし、ベビーベッドに洋服、おむつ、その他もろもろの赤ちゃん用品に支出する金額は馬鹿になりません。夫との話し合いで、「食費および生活雑費(シャンプーとかティッシュペーパーとか)と子どもにかかる経費(保育料含む)は私、その他は夫が出す」という結論になりました。職場に復帰後も、私は時短勤務をしている、すなわち給与が低いので、この取り決めがそのまま生きています。

 するとどうでしょう。今まで夫婦間で保っていたバランスが、ものの見事に崩れました。

 まず、家事がほぼすべて私の仕事になりました。出産前は、夫も掃除をしたり料理をしたりしていましたが、産休・育休中に私が家にいるようになったことをきっかけに、皿洗いを除き、料理・洗濯・掃除その他が私の担当のようになってしまいました。

 時短勤務中だし、私のほうが早く帰るし仕方ない、と最初は思っていたのですが、ちょっと待てよ。夫の会社ではフレックスかつコアタイムに会社にいればそれでよし、という勤務形態が認められています。在宅勤務もOKです。一方「そこにいるのが仕事」である秘書の私は、分刻みでスケジュールを会社に管理されています。私の職場の方が遠いということもあり、家を出るのは私が8時前、夫が8時半。帰ってくるのは私が17時過ぎ、夫が18時過ぎ。実際に家を空けている時間は30分ほどしか変わりません。なのに、どうして私がほとんどすべての家事をこなしているの?

 また、一時期、夫が「仕事でどうしても必要なので、これから3ヶ月毎週日曜日にセミナーに通う」と言い、セミナーに参加していたことがありました。その間私はひとりぼっちで家事育児……。まあ、仕事で必須なら仕方ないか……と諦めていたのですが、ある日SNSでタグ付けされた夫の写真を見て知ってしまったのです。それが夫の仕事にはまったく関係ない、チーズ作り講座だったことを……。

 とても腹が立ちました。子どもが寝た後、膝詰め談判です。だいたい双方とも地方出身でまわりに頼れる親や親戚がおらず、夫婦だけでなんとかやっていかなければいけないのに、チーズ作りをしたいから、と私に3か月にもわたり負担をかけるたあどういうことだ(しかもチーズ作りだなんて最初に言ってなかったし)! と。私だってやりたいこともあれば読みたい本もあるのに、我慢してるのに! と。

 そしたら夫が言ったのです。

「家計を支えてるのは俺だ! 悔しかったらお前も稼いで家計を折半しろ!」

と。

 ああ。絶望。

私はフェミニストなのか?(6)

 子どもがほんの赤ん坊のうちというのは、女性にとって残酷な時期です。女性から、すべての思考をうばってしまいたいがゆえに、赤ん坊はこういう構造なのか? と思ってしまうほどです。しかし、実際には産後2か月(私がまだ毎日泣き暮らしていた時期です!)で職場に復帰し、バリバリ仕事をしている人もいるのですから、一概に全ての女性にとって育児は地獄である、と語ることはできません。

 少なくとも凡人の私は、最初の2年間にわたってほぼ子どもにかかりっきりで、ほかのことを考える余裕などありませんでした。子どもの生後7か月で、奇跡的に保育園に空きがあり職場に復帰したものの、最初の1年は何が何だか分からないくらいのカオスでした。いつかかってくるかわからない保育園からのお迎えコールに怯え、出産前は読書に明け暮れていた往復の電車では、ほとんど居眠りしていました。子どもの夜泣きでこちらも慢性的寝不足になり、通勤電車で眠らずにはいられなかったのです。

 しかし、そんな時期もとにかくは過ぎ(=子どもが夜通し寝るようになり)、私もだんだん人としての思考力を取り戻してきました。そうすると、生活の中での些細なことが気になり始めました(またか、って感じですが)。

 出産前に転職して得たポジションは「秘書」です(そうです「美人」という枕詞の代名詞です。ですが、私が働く職場は大変地味なので、美人秘書なんてひとりもいません。ちなみに美人、と枕言葉がつくということは、ほぼ100%女性の仕事ですね)。前職での「労働時間=会社への貢献度」という姿勢に嫌気がさし、「なんで能力を売るべき仕事で、悪い意味で時間まで評価されないといけないの? もういいや、こうなったら単純に時間を売る仕事に就こう」と考えての転職でした。前職より確かに給与は下がりましたが、仕事内容はすこぶる単純明快。幸い職場の上司や同僚にも、前職でしょっちゅうあったような「人の足をひっぱる」タイプの人はまったくおらず(まあ、そりゃそうですよね。だって秘書はバイプレーヤーなのですから、足をひっぱる必要もありません)、まじで楽ちん、定時で帰れる、ばんばんざい、という感じでした。

 しかし、です。足はひっぱられなくても、秘書=女=ステレオタイプでしかものを考えられない差別男、は結構な割合でいたのです。

 たとえば私が妊娠した時。直属の上司は「戻ってくればいいよ」と言ってくれ、派遣会社に代理の人を探すよう依頼してくれました。よかった、マタハラにあわなくて……と安堵したのですが、そんな時ほかの部署のトップから言われました。

「妊娠したんだー。〇〇部の部長も残念だろうねえ。あなたがやめちゃうとねえ」

 ????やめるなんて誰も言ってないけど、と思い、「産休・育休とった後、私戻ってきますよ?」と言うと、戻ってくるというのが予想外だったようで、「ま、ほら、でも一度はいなくなるわけだから」と微妙にごまかされました。当時は、「やめるなんて誰にも言ったことがないのに、勘違いかな?」程度にしか思いませんでしたが、じっくり考えてみるとふざけた差別発言です。妊娠・出産した女は、全員仕事を辞めて家庭に入るとでも思ってるのか? と思いました。まあ、この方はそう思っているのでしょうね。

 けれども、それは所詮「隣の部署の上司が言ったこと」です。聞いてくださいよー、うちの社内にも、こんな性差別主義者がいるんですよー、とランチの席での笑い話になるくらいなことです(と言える自分の職場はありがたいと思います。そうではない職場のほうが多いと思うので)。

 最強の敵は、自分のごくごく身近にいたのでした。

私はフェミニストなのか?(5)

 小倉千加子の「嫌いなもの:結婚しているフェミニスト」という一文を読んだのをきっかけに、自分はフェミニスト失格だと勝手に思い込み、同時期に離婚、再婚、転職、出産というてんこもりのライフイベントに見舞われた私は、「フェミニスト」と「フェミニズム」について語るのを止めました。

 結婚2回もしちゃったしな。2人目の夫から「似合わないからズボン履くな」と言われて以来スカートしか履いてないし。しかも転職して就いた職業は「秘書」です。男女差別について日頃深く考えることのない人たちが、「女性らしい、きめ細やかさを活かせる職業ですね」と言いそうな仕事です。その通り、お茶くみやコピー、時には上司のコートのボタン付けや靴下の買い物まで命じられるなど、女性らしさを存分に活かせる仕事です! 苦笑。

 その上、ライフプランにはなかった出産までしてしまいました。しかも「自分には女の子が産まれるはず」と信じており、友人や職場の同僚からも「きっと女の子だよ、そんな気がする」と言われていたのに、「立派なものがついておりますな」と医師からの指摘。そうです、子どもの性別は男だったのです。それを知った時、「ああ、私が女性を差別する側の性を産んでしまうとは……!」と思ったあたりに、私の中にもまだフェミニズムの片鱗が残っていた、と言えるでしょうか。

 産まれて初めて経験する乳幼児の育児は、凄まじく大変でした。そもそも子どもにまったく興味がなく(白状すると、出産前は飛行機や電車で自分の近くに子どもが座ると「あああああ最悪!」と苦々しく思っていました。すみません)、自分の子どもですら「死んだらどうしよう」と責任の重さに怯えるばかりでまったく可愛いと思えませんでした。最初の2か月は毎日泣き暮らし、その後もただただ「殺さず育てなければいけない」という責任感だけで育児をしていました。外の世界では、北原みのりが、雨宮まみが、川上未映子が、マツコ・デラックスが、私が思う「フェミニスト」として活躍していましたが、本どころかPCを開く余裕もなかった私は、スマホの小さい画面で見るインターネットで、彼らの発言に細切れで触れることしかできませんでした。

 ああ、自分はこうして馬鹿になっていくのだな、と思いました。ずっと子どもと対峙して、読みたいものも読めず、知りたい情報からも隔離され、世間から取り残されていくのだな、と。

 そんな、絶望で真っ暗な日常がゆっくりと白み始めたのは、子どもを保育園に預け職場復帰し、しばらく経ってからのことです。子どもが夜泣きをしなくなりようやくおしゃべりを始めたのをきっかけに、「可愛いやん」とまがりなりにも思えるようになり、自分の気持ちに余裕が出てきたのでした。

 

私はフェミニストなのか?(4)

 フェミニズムの本を読めばいい、と思いついたものの、いったい誰が書いたどんな本を読めばよいのかさっぱり分かりませんでした。

 当時の私が唯一知っていたのが、上野千鶴子です。そこでまず『スカートの下の劇場』を読み、『男流文学論』を読み、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』を読み(この本の著書は遥洋子ですが)、そうこうしているうちに小倉千加子のことを知り、田中美津のことを知り、彼女たちの著書も読むようになりました。

 それはもう、面白かったです。夢中で読みました(でも読んでてもすんなり中身が入ってこない『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平 』とかは途中で止めてしまいました……)。私がおかしい、嫌だと思ったことを、おかしい、嫌だと思う人は他にもいるんだ、と知ったことに勢いづけられ、この時期の私はにわかフェミニストとして元夫や両親にも自分の考えを滔々と述べていました。元夫は「言いたいことも分かるけどさぁ」とあきれ顔で、母とは大ゲンカになったりしました(映画『デブラ・ウィンガーを探して』をドヤ顔で見せた後です)。

 けれど、ある日、本を読んでいた時のことです。うろ覚えですが、上野千鶴子小倉千加子の共著『ザ・フェミニズム』だったと思います。上野千鶴子が、小倉千加子について「『結婚しているフェミニストは嫌い』と言ったためにいろいろな方面から批判を浴び」というような主旨の発言をしていました。その文章を読んで、ものすごくショックを受けました。

 

わたし、結婚してる! フェミニストって、結婚したらダメやったんか! そういや上野千鶴子小倉千加子田中美津も結婚してない! 

 

 僭越ながら「私と同じことを考えている!」と勝手に共感していた人たちから、「結婚してるアンタはフェミニスト失格。フェミニストを名乗るなんておこがましい」と否定されたように感じました。同じ頃、引っ越し、離婚、また引っ越し、そして再婚、転職、出産……と大きなライフイベントが立て続けに起こったこともあり、私は前ほどの熱意を持ってフェミニズムに触れたり、語ることをしなくなりました。